同僚の若手デザイナー、
waba先生から、自主制作ムービーをいただいた。実に3年をかけた労作であるという。技術に裏打ちされたクオリティもさることながら、何より感心するのが、そのオリジナリティであった。全編に
表現することへの原初的な喜びが満ちており、若いとは「作りたいモノがある」ことに他ならない、と感じた。
思えば私には、ゲーム会社に入った直後から、
作りたいモノなど全くないのだった。担当するプロジェクトはすべて、誰か他人が考えたゲームであり、私の仕事と言えば、それを完成まで持っていくことに他ならなかった。しかし、それはつまらない仕事ではない。与えられた企画をより良く、よりスムーズに完成させるというのは、
とても面白くやりがいのある仕事と断言できる。
卓越したアイデアが思いつける人、自分の企画を通すことができる人のことを、うらやましく思ったことは確かにある。しかし、
ない才能を追い求めることに費やしていられるほど私に残された時間はもはやない。
そして最近、この
思い入れのなさが+に働くこともある、とようやく理解した。思い入れは、作品にカリスマを注入できる反面、ユーザーを阻害することがある。商品としてのゲームは、ユーザーを楽しませてナンボ。時には、作り手のこだわりを
ゴミ箱にすてる覚悟も必要だ。
私の初仕事は、ほぼ発売中止といってもいい結果に終わった。数字は知らないが大赤字のハズだ。いまだに「いいゲーム」と言ってくれる人もいるが、
売れなかった「いいゲーム」など存在してはいけないのだ。私はさっさと辞表を書いてしまったが、チームにいた先輩方の悔しさはどれほどのものだったろう。以来、普通に流通に乗って販売される、ということに私は一層執着するようになった。
PCゲームの世界では、出来が悪いゲームは「同人以下」と揶揄される。しかし私は、たとえそのようなゲームであっても、販売されて収入があり、スタッフが食えるというそのことにまずこだわりたいと思う。あの日から、私にとって
ゲーム作りは遊びでなくなったのだから。 waba先生は、作品でデザイナー個人としての矜持を見せた。私は企画屋として、いかなるプロジェクトも「完成させて売る」ということで応えていきたいと思う。