以前よりゲームに関して色々と発言のあった社会心理学の坂元教授。年末に発表した記事が妙な反響を呼んでいる。
元記事
「ゲームリテラシー」教育を「ゲーム機やソフトが進歩する一方で、ゲームリテラシー教育が進んでいないのは事実ですね」
坂元教授によると、さまざまな実験をしたところ、暴力が正当化されている▽暴力を振るうことで報酬が得られる▽主人公が魅力的に描かれている場合、個人差はあるものの、暴力シーンが多いシューティングゲームをやることで、プレーヤーの暴力的傾向が助長されるという。
ただその場合でも、暴力が正当化される理由は何か▽なぜ、主人公は暴力を振るわないといけないのか▽倒された者の家族はどんな気持ちか−など、「ゲームに描かれていないもの」を考えることで、暴力は「ゲームの中のもの」と理解させることは可能だという。
ゲームリテラシー教育とは、子供にゲームに描かれていない背景、制作者の意図まで理解させ、子供がゲームにコントロールされないように教えることだ。 さて、この記事が2ちゃんねる→
痛いニュースと伝播するのだが、
「つまりスライムの気持ちを考えろと?」
「このテの学者は、どうしていつも見当違いな方向に話が飛ぶのか。」 ダメすぎて失望した。ここまで低劣な感想しか出てこないとは。
「ゲームリテラシー」という用語の新奇さに反感持ってどうするよ。坂元教授は「ゲーム脳」の森某とは全然違う。
親も子供が遊ぶゲームに関心を持ちましょうという、これ以上ない真っ当な指針じゃないか。
「倒された者の家族はどんな気持ちか」という部分だけに反応して揶揄しているアホどもの読解力のなさ。こいつらは文を文字通りにしか受け取らんのか。大意をつかんでから反応しやがれ。
最も驚いたのが、「ゲームに描かれていないものを考える」という部分に否定的な意見が多かったこと。あのなぁ、表示された情報だけを頼りに、ゲームをゲームと割り切ってプレイする、なんてのは
枯れ果てたゲームとのつき合い方なの。むしろ「ゲームに描かれていないもの」を、いかに想像させるかが作り手の力量であり、いかに想像できるかがプレイヤーの力量なの。
これはちょっと古いゲーマーならみんな体感している事だと思う。昔のドラクエなんてアイコンレベルのドット絵でしか描かれていなかったけど、プレイヤーの頭の中では、鳥山キャラが縦横に踊ったり、ロード・オブ・ザ・リング並みの豪壮華麗なファンタジー世界が現出していたんだ。Wizardryは、線で描かれただけの迷宮だったけど、プレイヤーにとっては、じめじめと薄暗く、死の臭いの立ちこめる迷宮だったのだ。
感情移入すると、むしろゲームと現実の境目がつかなくなってまずいんじゃないかって?
全くその通り。しかし、マンガでも小説でも映画でもゲームでも、見る人の感受性を全く揺さぶらない作品なんてのは
クズでしょ。フィクションというのは、もともとそういう危険性を持つものなんだよ。
子供だったら、フィクションに心を揺さぶられるような体験はあった方が絶対幸せだと思う。それが映画や小説でなくゲームだとなぜ問題なのかと言えば、
親が内容を知らないという一点に尽きる。テレビとか本だと、親もチラ見くらいはしているので、知らず知らずのうちにフィクションの受け取り方を子に伝えているわけ。皆さんは、いつテレビのヒーローが実在しないと知ったか、覚えているかい?
子供にフィクションとのつき合い方を考えさせる、という点において「ゲームリテラシー」教育、国語の教科書に小説が載っているのと同じ程度には、値打ちがあると思うけどね。
ついでに、中学か高校で
ネットゲーム廃人が出ないようにリテラシー教育しておいて欲しいんすけど。これ切実。