デビューしたばかりの「ニュージェネレーションズ」が早くも解散のピンチ。未央は辞めると言って飛び出し、凜はプロデューサーへの不信からボイコット、卯月は風邪でダウン。ここからいかに立て直すか、というストーリー。
出社しないので、珍しくそれぞれの自宅が背景となったのだが、その描きっぷりにスタッフの本気を見た。
2015年02月24日
「アイドルマスター シンデレラガールズ」第7話
2015年02月22日
「アイドルマスター シンデレラガールズ」第6話
未央、アイドルやめるってよ。
すでに7話放送済みなので、皆もほっと息をついているところだろうが、いや〜、このタイミングで落としてくるとは、虚を突かれた。
3話で、この三人がバックダンサーに指名され、初めてステージに立つエピソードが描かれた。そのときは、不安要素満載で話を進めながらも、最後に華々しく本番を成功させて見せた。以降も、ユニット「ニュージェネレーションズ」の結成、CDデビューととんとん拍子。ならば、今回の初ライブも成功するだろうと思いこんでいたらこれである。
過去の成功が裏目に出る、憎いシナリオだ。3話では、すでに人気アイドルである城ヶ崎美嘉のライブだからこそファンが詰めかけているのであり、新人のミニライブに来るファンなどまだいない。理想とかけ離れたスタートに、未央は打ちひしがれてしまう。バックダンサー経験のないラブライカの二人が、謙虚にデビューライブを喜んでいる姿との対比が鮮やかだ。
これから成長物語もやるので、油断せずついてこい、という作り手のメッセージを感じた。
なお、ステージの場面では、ラブライカの曲のみが流れ、ニュージェネレーションズの舞台と並行して見せる、という演出になっていた。振付にかなり気合が入っていたので、販売時には、それぞれ完全版のステージ映像を特典としてつけていただきたいと思う。
2015年02月21日
アルュメの思い出「機動戦士ガンダム EXレビュー」
ゲーメスト読者なら、発音できない名前を持つゲーム会社として記憶しているアルュメ。先日、突然の破産情報が駆け巡った。99年には事業停止しており、なぜ今になって、という驚きの方が大きい。
「機動戦士ガンダム EXレビュー」は、私が唯一プレイしたアリュメのゲームである。
時は94年。スト2、餓狼、龍虎、サムスピ。2Dの対戦格闘ゲームがゲーセンを彩っていた時代だ。そこへ、バンプレストが「ガンダム」を引っ提げて乱入しようと、アリュメに作らせたわけだ。
実際にプレイすると、なんともインパクトのあるゲームだ。良く知っているモビルスーツばかりが登場するのに、ガンダムらしさがほとんど感じられない。技は人気格ゲーのものを臆面もなくパクっており、スト2で見たようなパンチや、サムスピで見たような必殺技が頻出する。バランスも大味なので、勝敗よりも元ネタ当てゲームで大いに盛り上がった。個人的には、原作ではありえない空中殺法で暴れまわるアッガイがお気に入りだった。
このゲームのタイトルをまともに覚えようとする者はほとんどおらず、「ガンダムの格ゲー」か「ガンダムのスト2」で通っていた。略すと「ガンスト」となるが、それでは最近出たアーケードゲームと同じになってしまうな。
2015年02月19日
権威主義の学生に辟易
私の仕事は専門学校ゲーム科の講師。
こんなところに来るのは、どんな学生だろうか。受験エリートなんか知らん、俺はゲームを作るんだ! というような反骨心のある奴ら、だと思ってたんだけど…。
先日、学内コンテストの審査結果が出て、最終プレゼンに残るメンバーが発表された。落ちて悔しがったり、がっかりしたりするのは分かる。だが、完全に受かるつもりでいて、審査に不満を漏らす者がいる。勘違いも甚だしい。
実は今回、プログラム技術的には高度なことをやっている作品が、いくつか落ちている。なぜか。ゲームのコンテストだからだ。
プログラマーの入社試験ならば、技術が評価されて合格する作品だろう。しかし、ゲームのコンテストでは、技術はゲームを面白くするために使われなければ意味がない。市販のゲームに届く水準の技術が使ってあっても、インターフェースやレベルデザインがおざなり、ではだめなのだ。
この手の作品のプレゼンは決まって、物理ベースレンダリングがどうたら、なんたらシェーダーでこうたら、と専門用語を並べたてた技術解説に終始する。他の学生より知識がありますよ、と小賢しいアピールをするのだが、審査員は業界のプロなので当たり前の知識であり、釈迦に説法、実に恥ずかしい。周囲を見下し、権威に媚び、それが正しいと信じているのだ。
それだったら、かつて壇上で「僕たちはロボットが大好きだ〜!」と叫んだ学生のように、作りたいものへの打算のない情熱を語ってくれた方が何倍も気持ちいい。
私は大学の文学部を出ている。学生時代、難解な研究書を読み、専門用語だらけの発表をして研究者気取りの嫌な奴らを山ほど見てきた。そういう世界を離れたのに、こっちでも同じようなことは起こるり得るのだとわかり、驚いたようながっかりしたような。
2015年02月16日
清須会議
三谷幸喜が監督し、大泉洋が主演となれば、抱腹絶倒のドタバタ喜劇となるに違いない、と思い込んでいたが完全に誤解。喜劇仕立ての部分もあるが、本筋はいたってまじめな歴史ドラマであった。
本能寺の変による信長の死後、それぞれに跡継ぎを擁して柴田勝家と羽柴秀吉とが対立する。その決着の場となるのが清須会議だ。
役所広司演じる勝家は、政略については丹羽長秀にまかせっきりのお人よしとして描かれる。まるで重みがなく、ダイワハウスのCMのようだ。
一方、大泉洋演じる秀吉は、表面の明るさとは別に、着々と野望に向けて根回しを進める食えない男として描かれている。
若いころの私ならば、知略に優れた秀吉が勝って当然、と思っただろうが、今の私は愚かな勝家の方の肩を持ちたい。武勇をもってお家を支えてきた勝家も、天下統一が見えてきた時代にあっては老害でしかない。変化に対応できない中年男性の哀愁は、現代のサラリーマンにも通じるものがある。
秀吉のヅラも相当変だったが、各キャラクターに扮するためのメイクが独特である。バカ殿役の妻夫木聡、寧役の中谷美紀は終わるまで誰だかわからなかった。お市と松姫のおしろい、お歯黒メイクも考証は合っているのだろうがインパクト大。
時代が動くことを音だけで伝える結末は雰囲気があるが、秀吉の好感度が低く描かれるため、「空しい」の一歩手前のような余韻。三谷作品らしい面白さを期待してはならないので、人に勧めにくい映画だ。
扮装度 9
地味度 8
喜劇度 4
個人的総合 5
2015年02月15日
「俺屍2」その3 百鬼絵巻
奪われた祭具を取り戻せ。これが「俺屍2」で与えられる目標である。祭具を取り戻すたびに、町では祭りが復活し、神からの加護も受けられる。祭りを、神・人・鬼の三界を繋ぐものとする認識は、日本独自のものではないだろうが、ゲームシステムに利用してしまうのは、「俺屍」だけのオリジナリティだ。
さて、一般にRPGでは、ダンジョンの最奥にボスが控えており、それを倒すことでストーリーが先へ進むようになっている。ところが、「俺屍2」は全く異なる。
祭具を奪った鬼たちによって開かれる百鬼祭り。まずはこれを探さなければならない。とはいえ、開催月とダンジョン名は教えてもらえるので、見つけるのはさほど苦労しないだろう。そこでボスを倒せば、祭具奪還となる。
だが、ここで問題となるのが、百鬼祭りが年一度しか開かれないことだ。一族の寿命は約2年。ひとたび討伐に失敗すれば、翌年まで待たねばならず、その間にメンバーの半分は入れ替わってしまう。ボスを倒すために、メンバーが最強となるピークを、百鬼祭りの時期と合わせなければならない。このやりくりが、「俺屍」の肝となるのだ。
それはまるで、日本ダービーに向けて競走馬を育てるブリーダーのようでもあり、ワールドカップに向けて選手を鍛えるサッカー日本代表チームの監督のようでもある。
最強のキャラが出来たとて、それは一瞬のことに過ぎない。一族全体として水準を上げていかなければ、先へ進むことはできないのだ。
このやりくり感は、「俺屍」一作目からお馴染みのもの。だが、「2」では、さらなる勝利条件か追加されている。夜鳥子である。
(続く)
2015年02月14日
繕い裁つ人
映画「繕い裁つ人」を、両親と観てきた。そろって映画を観るなど、30年ぶりくらいか。なぜこの映画を観ようとなったのかと言うと…
主演が中谷美紀。現在、TVドラマ「ゴーストライター」でも熱演が話題になっている。そのほか、「おおかみこどもの雨と雪」で名前を知り、「小さいおうち」で銀熊賞を獲った黒木華。回鍋肉のCMから「思い出のマーニー」まで縦横無尽の杉咲花。新旧演技派の競演が見ごたえありそう、というのが私が興味を持った理由。
母は、若い頃は洋裁の達人だったので、洋裁店が舞台となるこの映画に惹かれた。作中では、主人公がクラシックな足踏みミシンを使う場面が印象的だが、もう少し新しいモデルのものがわが家にもあった。
父は、かつての職場がロケ地として使われていると知り、この映画を観たがった。本作は、全編が神戸をはじめとする阪神間で撮られており、馴染みの景色がうまく使われているのに驚く。
職人的な個人の仕事が、大量生産の安価な製品に押しのけられ、後継者もいない、などという話は今では見飽きた。本作の新味は、そのような仕事を受け継いでしまった後継者が、これからどう生きるか、というテーマに踏み込んだところにある。
作中で気になったのは、先代の葬式のシーン。故人を慕うお客たちが、この店で仕立てた服を着て並び、霊柩車を見送る。本来であれば、先代の仕事の素晴らしさ、服の美しさを伝える場面であるはずだが、過度のスロー演出により、何やらホラーのような映像になってしまった。そう言えば、日本人形なども、よく出来ていればいるほど怖い印象につながりやすい。こだわり過ぎたゆえの失敗か。
風景美 9
食べ物 8
男性不在度 8
個人的総合 5
2015年02月08日
「俺屍2」その2 温故知新
初代当主のキャラを作って、プレイ開始。
「俺の屍を越えてゆけ」は、独自のゲームサイクルを持ち、プレイヤーに任されている自由度も高い。従って、憶えることが非常に多い。ついて行けるかどうか、ちょっと心配だったが、コーちんが手とり足とりアシストしてくれるので、しばらくは言われた通りのプレイで何とかなりそう。「俺屍」らしからぬ親切さで、スマホゲームに負けない導入をしてくれる。
しばらく遊んでみて驚くのは、予想以上にシステムが昔のままであること。それでつまらない、ということはないので、いかに前作の完成度が高かったかわかる。
では、「2」で何が変わったのか。まず、キャラが3Dになった。これを単なる見た目の変更に終わらせないところが「俺屍2」の素晴らしいところ。子供ができたとき、その外見が両親の遺伝によって決まるのだ。前作でも一応その要素はあったのだが、2Dイラストゆえに、どこか説得力がなかった。今回は、この親でこうなる、という妙なリアリティがある。
前作までなら、交神(神と交わり子孫を作る)において、パラメーターの強さを最優先にしていたプレイヤーもいただろう。だが、今回は、顔重視のプレイヤーが多くなりそうだ。たとえ美男美女の組み合わせでも、パーツのバランスで残念な顔が出来てしまう場合があるところも、なんだか現実的でおかしい。
次に、遺言が長くなったこと。「俺屍」は、世代交代が柱となるゲームなので、キャラクターに主役はなく、個別の物語もなく、ボイスも原則ない。だが、遺言だけは膨大に用意されており、しかもボイスが入っている。わずかな別れの瞬間に、生前の人柄を一瞬偲ばせる、心憎い演出だ。
上の図は初代当主なので、誰がプレイしても同じ遺言になるらしいが、以降はすべて個別になる。小さなメッセージウインドウだった前作から、フルスクリーンになって多彩な別れの言葉を見ることができる。
「俺屍2」には、他の最新ゲームのように、システムや技術での進歩はない。しかし、このゲームにしかなかった要素については、大きくパワーアップしており、企画の取捨選択が見事であると感じる。
2015年02月04日
北海道教育委員会が「ノーゲームデー」を提唱
4Gamer.net:北海道教育委員会が毎月第1・第3日曜日を「ノーゲームデー」とする呼びかけ
無駄無駄無駄ァッ!
こんな方法で子供がゲームから離れると思ってんのか、ボンクラ役人ども! 効果は期待できない、なぜならこの俺様が証拠だっ!
俺様は教育に厳しい家庭で育った。ゲームは親に決められた時間の範囲内でしか遊ぶことができなかったのだ。では、代わりに勉強などに力を入れたか? 答えは、否だ!
役人も親も甘すぎる! ゲームを起動しているその時間だけがゲームだと思ったら大間違いだ! 俺は、ゲームの時間を有効に使うために、その他の時間を活用したのだ! 次はどこまで進めるか、試したい作戦は何か、など、イメージトレーニングに余念がなかったのだ。まだ見ぬ続きに思いを馳せる時間もまた、ゲームの楽しさの重要な一部なのだ。
成人した俺様は、ゲームを求めるあまり、ついにはゲーム企業へ就職してしまったんだぜ。親に制限されなかったら、たぶんこんな仕事しようとも思わなかっただろう。親の教育は完全に裏目に出たぜ。
チュンソフトを設立した中村光一などは、学校で授業中、ノートにプログラムを書き、放課後に部室のPCで試したそうだ。PCなしでゲームが作れてしまう猛者もいたんだぜ?
ゲームから無理に子供を遠ざけるのではなく、やらせたい事の魅力をアピールした方が遥かに健全な教育だと思うぜ。
2015年02月02日
「俺屍2」その1 一族再起
先月、PS+のフリープレイに「俺屍2」が登場。ソフトがタダなら、本体を買っても安いじゃない、という本末転倒な考えで、Vita TVを買ってきてプレイを開始した。
前作「俺の屍を越えてゆけ」は、俺にとって「ドラクエ」「FF」をも越える最高のRPG。競走馬もびっくりの短命な一族という設定、世代交代を軸にした独特過ぎるシステムで、各プレイヤーに固有のドラマを体験させた傑作だ。100時間以上もプレイしたのに半分もクリアできず、結末も見ていないのに面白かったというのはこのゲームくらいなものだ。
これを作ったのは桝田省治。一時期ゲームを離れていたこともあって、非常に寡作であり、PS2の「我が竜を見よ」からでもすでに10年が経ってしまっている。「俺屍2」は、久々にプレイする桝田ゲーとなる。
Vita TVをセットアップし、まずはオープニング。黄川人(キット)が再登場し、昔のままの口の悪さを披露。世界観は前作と続いているのだな、と喜ぶ。うっかりして、
この場面をぼ〜っと眺めてしまった。ボタンを押し、黄川人の言葉に返事をしなければならない。オープニングムービーで入力を求められるゲームなど聞いたことがないが、この骸骨こそが一族であり、これからプレイヤーになることを知らせる操作なのだ。桝田ゲーのこだわり、健在なり。始まる前から期待が高まった。