映画を見、マンガを読んで、さらに映画を見ましたが、「むむぅ」とか「ふへぇ」とか、言葉にならない感嘆しか出ません。
一般に、マンガから映画を作る際は、テーマとなる部分を抽出した上で、内容を再構成します。ですので、キーとなるビジュアル以外は、マンガと別のものになります。メディアが違うのですから、それが普通です。
ところが、「この世界の片隅に」は異常です。原作は上中下の3巻から成るのですが、特に上巻については、1コマ1コマ映画と比べたくなるくらい、忠実に再現されていて驚きます。いや、再現なんてもんじゃない。マンガでは表現できない音や動きの部分について、想像以上の補完を見せてくれるのです。
さらにこのマンガ、映画には全く向かない形式なのです。すずさんの日常を描き、短いページでオチをつけていく。戦時下であることを除けば、「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」のようなマンガなのです。さらに、マンガはかなり自由で実験的。隣組の歌だけで一話消化したり、料理を説明するだけの回があったり、サイレント形式になったり、いろはがるたの回もありました。これらをほとんど端折ることなく組み込んで、映画を成立させているのはとんでもないことです。
映画の時間は限られています。ですので、マンガから重要なエピソードをかいつまんで…となるはずです。しかし、「この世界の片隅に」は、日常の積み重ねこそが肝であり、本筋とサブストーリーというような構造がありません。結果、映画では詰められる限り詰め込むという方法になりました。初めて見たときは気が付かなかったのですが、マンガを読んでから見ると、テンポが早く感じます。マンガでののんびり感覚から一転、映画は怒涛の勢いでエピソードを駆け抜けます。
同じ戦時中を扱ったアニメということで、「火垂るの墓」がよく比較の俎上に上っているようですが、むしろ同じ高畑監督の「ホーホケキョ となりの山田くん」こそ比較の対象とするべきではないでしょうか。
一方で、マンガと異なる部分もあります。白木リンをめぐるストーリーは、その多くが削除されています。このような場合、多くの映画では、削除された部分が気にならないように、他の部分を調整しています。ところが、「この世界の片隅に」は違います。破いた手帳や、口紅など、削除したストーリーにまつわるアイテムがそのまま残っており、小さな謎として気にかかるのです。
片渕監督は、「原作をぜひ読んでほしい」と色々なところで言っています。おそらくこれは、そのための仕掛けなのでしょう。私はまんまと引っかかり、マンガによってわかったことがいくつもありました。
エンドロールで描かれる後日談が、多くの人を感動させています。数枚のラフなイラストです。これをアニメにしなかったところにも、こだわりを感じます。マンガにない物語は本編に含めない。多分そういうことなのでしょう。
続く、クラウドファンディングの支援者リストでは、ようやく下半分の画面で描かれる物語を追うことができました。一回目の鑑賞では、つい自分の名前を探してしまって、下が見られなかったものですから。