さて、この結末、「箱」の主が絵として明示されなかったことに賛否があるようです。気持ちはわかります。この世のものと思えないクリーチャーは、諸星先生の得意とする題材ですからね。
「箱」は、因果を食らい、記憶を奪います。主人公たちが憶えていないから姿が明かされなかったのでしょうか。いや、そもそも姿などなかったのかもしれません。
「箱」の行いは、神のようでもあり悪魔のようでもあります。「箱」は、人々を誘い込んでパズルを解かせます。魔少女は、「箱」が自らの意志でパズルを進化させたと説明します。そのときのコマには、知恵の輪や組み木といった古典的な遊び道具と一緒に、ファミコンやVRが描かれています。
遊びを進化させる「箱」。それはコンピュータそのものです。であれば、諸星先生が主の姿を描かなかったことにも合点がいきます。毎日そこにあるのですから。私たちは知らないうちに因果を奪われ、別の世界へ戻されているのかもしれません。
始まった時は、「CUBE」のような限定状況下の物語かと思われましたが、やっぱり最後にはスケールの大きな想像へと導かれる。諸星作品はこれだからたまりません。