2005年03月30日

〈帝国の地図〉はここにある 「シェンムー」 その1

 ある帝国で、皇帝に命じられた地図師がきわめて精確な帝国の地図を作り上げた。その地図は精確であるだけでなく、大きさも帝国とそっくり同じだったので、帝国の領土をそっくり覆い隠してしまった。やがて時がたつにつれ、地図は次第に朽ちてぼろぼろになってゆく。そして同じように、帝国の国力もまた次第に衰えていった。かくして今では数個の地図の断片だけが、砂漠と化したかつての帝国の領土の上に、僅かに痕跡を残している……

 これは、ボルヘスの有名な寓話である。実物大の地図は、すでにして地図ではない。何事もやりすぎると本質を見失う…という風に私は受け取ったのだが、皆さんはどう思うであろうか。
 ところが現在、「帝国の地図」は帝国の領土を覆い隠すことなく作ることが出来るのではないか。そう、コンピューターの中でだ。CGでどれだけ広大、緻密な物を作っても、物理的にスペースが必要になったりはしないのだ。

 「シェンムー」とは、現代によみがえった「帝国の地図」ではなかったのか。「制作費70億」のキャッチコピーも、このプロジェクトのせいでセガが傾いたと思われていることも、おそらくこのまま未完となるであろう事も、実に「帝国の地図」にふさわしい。
 シェンムーを体験したプレイヤーは、その圧倒的な作り込みに感嘆しつつも、「これでいいのだろうか」という違和感や居心地の悪さをぬぐい去ることが出来ない。それは、シェンムーが一線を越えてしまっていることを、プレイヤーが直感しているからだ。現実と似すぎたものはゲームではない。つまり、実物大の地図が地図でなくなるのと同じことなのだ。

 ボルヘスの寓話は後世まで語り伝えられたが、「シェンムー」もまた、そうなるべきゲームなのかも知れない。
↓下のようなやりすぎ感あふれる画面は、FFにだって出てこない
Tsmu4r35
posted by Dr.K at 20:26| Comment(2) | TrackBack(0) | ゲーム百鬼夜行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
まさかこんなタイミングで芭月の涼さんを見るとは思わんかったです。いや〜なっつかしいなぁ「シェンムー」。DC全盛期は僕らの世代が専学1年の頃だったけど、僕がプレイしたのは企画コンペでDCもらったあとだったから1年遅れだったけど。この超現実的な世界の中で、主人公含む全てのキャラクターの非現実さは最高のギャップでした。毎朝欠かさず茶封筒に500円入れてくれる稲さん。公園で隠居生活してるくせに、主人公に「重ね当て」を伝授するおじいちゃん。独特のイントネーションで日本語を喋る金髪ネーチャン。タイムアタックしちゃえば数時間でクリアできるゲームが。この無駄に凝った世界観のおかげで何十時間も楽しんでしまう。やりすぎといえばやりすぎかもしれないけど、これほど自由度が高く作りこまれたゲームは、あとにも先にも無いんじゃなかろうか?
Posted by fuku-D at 2005年03月30日 20:35
見ておく価値があると言えば、これほどのゲームもないでしょうね。�はかなり洗練されていただけに、続きはとても気になるんですが。
Posted by Dr.K at 2005年03月31日 12:19
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