2005年03月31日

〈帝国の地図〉はここにある 「シェンムー」 その2

 私がなぜ今さら「シェンムー」を話題にするのかというと、先にとりあげた「GTA -ViceCity」と共通点が多いからなのである。
 どのような点が似ているかというと、

1、等身大のゲームマップ
 3Dで再現された街は、乗り物に乗ろうが、建物に入ろうが、その縮尺が変更されることなく、連続したゲームマップとして表現される。
2、環境の再現性
 天候や昼夜が再現されている。
3、自律的に動く住人
 街の一般の人々は、各自の行動パターンに従って歩き回っている。
4、主人公がチンピラ(笑)

 …などが挙げられるだろう。では、GTAが世界的ヒットを飛ばしたのに対し、「シェンムー」はなぜそうならなかったのか。両者の違いの方に着目することで、少しはその理由が見えてくるのではないか?

1、等身大のマップ
 GTAの街は、遊びの宝庫だ。建物の死角や裏路地には、回復アイテムや武器殺戮ミッションユニークスタントなどが隠されており、隅々までゲームに利用されている。逆に、ほとんどの建物は張りぼてで、中に入ることが出来ず、ゲームに関係ないところは省かれている。
 一方、「シェンムー」では、建物の内部や部屋の調度品までもが精密に描かれる。九龍城などは、数百の部屋があるが、ゲーム中で立ち寄る必要があるのはその中の数部屋に過ぎない。
2、環境の再現性
 GTAでは、霧の夜は視界が悪い、雨はすべりやすい、朝焼けがまぶしいなど、環境の変化が主に車の運転に影響している。
 一方、「シェンムー」はアドベンチャーゲームであるため、約束の時刻まで待つなど、時刻が進行の足かせになっている場面が目立つ。天気に雰囲気以上の意味はないが、「一章・横須賀」では、86年の本当の天候を再現するという、異様な作り込みが見られる。
3、自律的に動く住人
 GTAでは、住人キャラは職業別などで数十種に及ぶが、基本的にはきまったテリトリーで歩いているだけだ。しかし、ひとたび銃撃戦となれば、逃げまどったりぶつかったり、多彩なリアクションでプレイヤーを楽しませる。
 一方、「シェンムー」の住人、特に「一章・横須賀」では、一人一人がきちんと別人として作られ、話をすることもできる。数百人のキャラに、場面に応じた声を当てる作業を想像するだけでも気が遠くなってくる。当然、行動パターンも個々に違うものだ。

 ゲームを作るにあたり、何が重要かを見極め、明確な意志を持って取捨選択することがいかに大切で難しいことか。GTAと「シェンムー」の比較は、私たちにそのことを教えてくれる。実際には、GTAでさえも「大味な洋ゲー」と評されることがあり、決して完璧ではないのだ。
 緻密過ぎる3Dの世界は魔物だ。間違った方向へのこだわりを絶ち、遊びやすいゲームへまとめあげるために、昔以上に企画センスが要求されているのではないだろうか。

 あるメーカーで、ディレクターに命じられたデザイナーがきわめて精確な横須賀の街角を作り上げた。…やがて時がたつにつれ、ハードとともにそのゲームは忘れられてゆく。そして同じように、メーカーの力もまた次第に衰えていった。かくして今では技術の断片だけが、砂漠と化したかつてのゲーム市場の上に、僅かに痕跡を残している……

posted by Dr.K at 12:30| Comment(2) | TrackBack(0) | ゲーム百鬼夜行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ゲーム史上、最も金のかかったバカゲーとして、その存在にとんでもない価値があるゲームですね(笑)うちじゃいまだにガチャガチャ回す時には「一回100円、やってみるか…」と呟いたり、格ゲーで対戦する前には「せめて武術家らしく死なせてやる…」と藍帝様のセリフを投げかけたりという会話がごく自然に行われています。
Posted by GON at 2005年04月01日 00:18
卒制に「シャンムー」が入っていたお人ですから!
Posted by Dr.K at 2005年04月01日 11:32
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