2005年08月28日

ダイナソー

 映画作るのって本当に難しい。そう思わせる一本。

 本作は、2000年に公開されたディズニー映画。先日、テレビで初めて見たが、問題山積の大作だ。

【しゃべる恐竜がキモい】
 これ、公開当時から言われていたが、なんでこんなにキツいのか。中盤の恋愛シーンとか正視できん。
 しかし、冷静に考えてみると、擬人化された物体が人語をしゃべる映画なんて過去にいくらでもあったはず。「トイ・ストーリー」とか「ファインディング・ニモ」とか「ライオンキング」とか。ペットとして爬虫類を愛でる人もいるくらいだから、恐竜だからいかん、というのがすべてではないはずだ。
 おそらく、原因は導入部にあるのだろう。この映画の導入は、恐竜の卵(後の主人公)が、川を流れ、翼竜に運ばれ、延々と旅をするところからはじまる。その間に、CG技術の粋を尽くした白亜紀の景色を次々に見せていくという趣向だ。映像としては最高の出来だ。世界観が見事に伝わる。だが、これではダメなのだ。
 映画の導入部は、観客とお約束を取り結ぶ部分。他の作品では、オモチャや魚や動物が人語で会話するというその部分を、早々に見せている。そうすれば、「ああ、そういう設定の話ね」という前提で観客は以降の話についていける。
 ダイナソーはそれをしなかった。むしろ、ドキュメント仕立てで一切セリフのない導入部によって、観客は極めてリアリティの高い白亜紀に案内されてしまっている。そのため、猿がしゃべると「彼らはしゃべれるのか」と思い、主人公が育つと「猿に育てられたからしゃべれるのだな」と解釈し、他の恐竜と会話が始まると「なんじゃこりゃ」となってしまうのである。

【お子様向けだからこそ危険なストーリー】
 中盤になると、恐竜の群れを力で支配しているリーダーと、民主的な態度の主人公との対比が鮮明になってくる。人間性に勝る恐竜(←すでにして日本語がおかしいが)が勝つ、というシンプルな話は、お子様向けでハッキリしている。そのこと自体は特に責めるべきではないが…
 敵対者はすべて死ぬというシナリオはいかがなものか。肉食恐竜2頭、リーダーとその側近2頭、全部死亡。民主主義って、敵対する者をも説得して味方につけるもんだと思っていたけど、違うのかな。こんな所だけ、恐竜時代の酷薄さを出してもどうかと思う。何より、邪魔者は消すというシナリオライターの態度、消されたリーダーとやっていることが同じではないか。
 正しくない者には死あるのみ。白亜紀のキリスト教とは、かくも恐ろしいのか、と認識させられる。

映像美   8
江角マキコ 3
教育的配慮 2
個人的総合 4
posted by Dr.K at 11:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画一刀両断 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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