2005年09月25日

寂しいヒーローたちへ

 「エッジゲーマーズナイト」のGONさんが、映画「NANA」を観て次のように嘆いている。

 いやはや、なんというか…呆れた。こういうのが世間で共感を得て、そして大ヒットしているというのであれば…こりゃ本当に世も末だね。こんだけ自己中心的で周囲の迷惑を省みないキャラクター達を正当化して描くなんざ、普通の神経じゃ到底できないと思うのだが。

 日本の若者が、すべてを奪われて最後に残ったのが、自己中心的に生きるという、くだらない自由への夢だった。
 多くの場合、夢は自分が何かするだけでは実現できない。例えば、「偉くなりたい」というシンプルな夢であってさえも、他人から賞賛されるというリアクションを必要とする。
 しかし、ここ30年、いや、ヘタすると50年くらいかけて、「正しい行いをすれば他人が見ていてくれる」という世間や世界に対する信頼が、決定的に失われてしまったのではないか。

 例えば、ロボットアニメなんてのは、そのへんが顕著にあらわれる。
 「マジンガーZ」。悪を倒す正義の味方。博士は世界の平和だけを考えて邪念がなく、パイロットは皆に賞賛される。そんなストーリーを視聴者がバカにしなかった、幸せな時代。
 「機動戦士ガンダム」。ホワイトベースの面々は、はみ出し者。軍のお偉いさんは、彼らをこき使い、しかし、決して認めない。そんな中、祖国に対してよりも、仲間に対しての信頼がアムロをつなぎとめた。同世代の信頼に共感が得られた、なつかしい時代。
 そして「新世紀エヴァンゲリオン」。敵の組織は見えず、味方の組織も謎な中、選ばれたパイロットはお互いの信頼すら持ち合わせていない。最後に残った「自分」への信頼が揺らいだとき、物語自体が破滅した。自分探しの過程が、視聴者の共感を得た、病的な時代の幕開け。

 こうして見れば、「自己中心的で周囲の迷惑を省みないキャラクター達を正当化して描く」ことが共感を得られる、そんな時代が来ても全くおかしくないことがわかる。なぜならそれが夢だからだ。
 今、何の可能性も認められず、他人に迷惑をかけないように、社会の片隅で縮こまっている若者が多いのではないか。だからこそ、奔放な生き方そのものが届かない夢として輝く。しかし寂しい夢だよね。他人と関わる意志がないのだから。何かを成し遂げようと言う目標がないのだから。そして彼らは知らないのだ、何かを成し遂げ他人に認められれば、奔放に生きることがだんだん可能になるという事実を。
 私には、そういう観客の姿が浮かんでくるので、GONさんはそんなに怒ったり嘆いたりする必要はないのではないか、と思う。
posted by Dr.K at 11:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 馬鹿は黙ってろ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なんともトラックバック機能が無くてお手数おかけします(笑)上映前にアンケート用紙をもらったんですが、それを見てみると「NANA」は”リアル”なので共感を得ているらしいですよ…。つまり、「届かない夢」じゃなくて、「普段自分たちがしている行動と同じ」だから共感を得ている、と。俺もさすがにみんながみんなこんなにヒドい事してねぇだろう、と思って観てたんですが…。…またもや上映中に平気で喋りまくって、大音響で着信音まで鳴らす連中が出てきて、やっぱり”世も末だな”と思いました…。
Posted by GON at 2005年09月25日 17:24
実は「NANA」はマンガも映画も未見なので、あまり突っ込んだ事は言えないのです。 ただ、某評論家が、このマンガのインテリアやファッションのあり方が非常にリアル、と書いていたのは読みました。そういう見た目の近しさへの「共感」だと思いたいですね。
Posted by Dr.K at 2005年09月25日 19:11
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