2006年01月16日

世の中所詮金がすべてか −新 鬼武者−

Jwiu1itu  今回の記事は完全にイチャモンです。当該ソフトのファンの方はスルーしてください。

 「ファミ通カプコン」に収録の「新鬼武者 体験版」をプレイした。ハッキリいうと、私はこのゲームが嫌いだ。
 体験版では、序盤の2ステージほどをプレイすることが出来た。開幕、鬼武者シリーズでは恒例となった豪華ムービーが流れる。その迫力、映像の質はまさしく業界最高レベルなのだが、明らかに間違った豪華さだ。
 ムービーの中で華麗に戦うキャラクター。しかし、本来これはゲーム中でプレイヤーが操って行うべきもの。ゲームはいつから見るだけのものに成り下がったのか。ムービーが長く、間のアクションゲーム部分がまるでおまけのようだ。
 そのムービーが優れた映画のように面白いのならまだ良い。まるで未来のゲームのような、アクションばかりに明け暮れ、ストーリー的な感慨に乏しい映像なのだ。しかもいかにも「お金かけました」と言わんばかりの作り。似たような感想を、昔何かの映画で感じたな、と思ったら「インデペンデンスデイ」だった。
 アクションゲーム部分にも、問題がある。技術的には最高水準。操作感は軽快で、シリーズ伝統の斬った感覚も良くできている。しかしながら、難易度があまりにヌルすぎる。もちろん序盤なのだから、基本的には簡単でよい。しかし、城何階建て分にもなる巨大なロボ武者や、魔に憑かれたと思しき剣豪が、全く手強くないというのはいかがなものか。昔のゲームだったらラスボスと見られかねないような、大迫力の外見なのに、プレイした感覚と齟齬がありすぎる。強そうな見てくれの敵はプレイしても手応えがあるべきで、そうであってこそ物語の主人公とプレイヤーが一体感を持てるのではないのか。
 このゲームの対象ユーザーは、適当にボタンを押すだけで先を見たいライトユーザーであると見た。浜崎あゆみの主題歌を聴いても、もはや札束乱れ飛ぶ制作現場が目に浮かぶだけで、プレイヤーに真剣勝負を挑むクリエイターの姿など見つからない。蒼鬼よ、真の敵は秀吉ではないかも知れぬ。ご用心、ご用心。
posted by Dr.K at 20:29| Comment(5) | TrackBack(0) | ゲーム百鬼夜行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
FF10をPLAYした時に同じような感想を抱きました。オート部分があまりにも多く、シナリオはムービーで進み、プレイ部分も戦闘だけ、ダンジョンの道を少し進むだけ的な、実に『やらされている感』というか、小さな子供に『やらせてあげてるような感じ』が強かったですねぇ。そんなシリーズの最新作……卒業後に発売するなら、なんとなくやるんだろうなぁ。
Posted by 竜 at 2006年01月16日 23:16
いやぁ、イチャモンでもないですよ本当に。ゲームがやりたくて電源入れたのに、延々と自分が関与できない映像を見せられたんじゃあ腹も立ちますヨ。まず「えげつなく強い敵」を作って、それに説得力を持たせるために「強そうなロボ武者や剣豪」のグラフィックにする、というのなら納得いきますけど、まずグラフィックありきで中身がついていってないというのは正に本末転倒ですね。というか、ゲームで一番の快感は「攻略した時の達成感」だと思うんですけど、ライトユーザーは本当にヌルいゲームで満足してるんでしょうかねぇ?
Posted by GON at 2006年01月19日 00:02
映画やアニメを基準にしますと、ヌルくとも操作できると言うだけでやりごたえにはなりますから。 ファミコンをサルのようにやり込んだ層とはやはり違いが出てきているのではないかな。
Posted by Dr.K at 2006年01月19日 07:40
うーん、ゲームがゲーム本来の楽しみ方をされないというのは、なんとも悲しい話でありますな。
Posted by GON at 2006年01月19日 23:20
新鬼武者って結構評判良いと思うんですけどここは違うんですねまあ浜崎とかムービーに力入れ過ぎとか理解できますけど難易度は選択できるのではないですか?>ファミコンをサルのようにやり込んだ層とはやはり違いが出てきているのではないかないい加減「サルのように」この言い回しやめましょうよ全然面白くもないし人をサルにたとえるなんて野蛮というか頭悪そうというか はっきり言って寒い(-Д-)得意げに使って良い言葉ではないと思いますね近いうちに死語になるんじゃないかと
Posted by 坂東栄治 at 2006年02月02日 23:24
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