2007年01月08日

ゲームリテラシー教育論について

 以前よりゲームに関して色々と発言のあった社会心理学の坂元教授。年末に発表した記事が妙な反響を呼んでいる。

元記事「ゲームリテラシー」教育を
「ゲーム機やソフトが進歩する一方で、ゲームリテラシー教育が進んでいないのは事実ですね」
 坂元教授によると、さまざまな実験をしたところ、暴力が正当化されている▽暴力を振るうことで報酬が得られる▽主人公が魅力的に描かれている場合、個人差はあるものの、暴力シーンが多いシューティングゲームをやることで、プレーヤーの暴力的傾向が助長されるという。
 ただその場合でも、暴力が正当化される理由は何か▽なぜ、主人公は暴力を振るわないといけないのか▽倒された者の家族はどんな気持ちか−など、「ゲームに描かれていないもの」を考えることで、暴力は「ゲームの中のもの」と理解させることは可能だという。
 ゲームリテラシー教育とは、子供にゲームに描かれていない背景、制作者の意図まで理解させ、子供がゲームにコントロールされないように教えることだ。


 さて、この記事が2ちゃんねる→痛いニュースと伝播するのだが、
「つまりスライムの気持ちを考えろと?」
「このテの学者は、どうしていつも見当違いな方向に話が飛ぶのか。」


 ダメすぎて失望した。ここまで低劣な感想しか出てこないとは。
 「ゲームリテラシー」という用語の新奇さに反感持ってどうするよ。坂元教授は「ゲーム脳」の森某とは全然違う。親も子供が遊ぶゲームに関心を持ちましょうという、これ以上ない真っ当な指針じゃないか。
 「倒された者の家族はどんな気持ちか」という部分だけに反応して揶揄しているアホどもの読解力のなさ。こいつらは文を文字通りにしか受け取らんのか。大意をつかんでから反応しやがれ。
 最も驚いたのが、「ゲームに描かれていないものを考える」という部分に否定的な意見が多かったこと。あのなぁ、表示された情報だけを頼りに、ゲームをゲームと割り切ってプレイする、なんてのは枯れ果てたゲームとのつき合い方なの。むしろ「ゲームに描かれていないもの」を、いかに想像させるかが作り手の力量であり、いかに想像できるかがプレイヤーの力量なの。
 これはちょっと古いゲーマーならみんな体感している事だと思う。昔のドラクエなんてアイコンレベルのドット絵でしか描かれていなかったけど、プレイヤーの頭の中では、鳥山キャラが縦横に踊ったり、ロード・オブ・ザ・リング並みの豪壮華麗なファンタジー世界が現出していたんだ。Wizardryは、線で描かれただけの迷宮だったけど、プレイヤーにとっては、じめじめと薄暗く、死の臭いの立ちこめる迷宮だったのだ。
 感情移入すると、むしろゲームと現実の境目がつかなくなってまずいんじゃないかって? 全くその通り。しかし、マンガでも小説でも映画でもゲームでも、見る人の感受性を全く揺さぶらない作品なんてのはクズでしょ。フィクションというのは、もともとそういう危険性を持つものなんだよ。
 子供だったら、フィクションに心を揺さぶられるような体験はあった方が絶対幸せだと思う。それが映画や小説でなくゲームだとなぜ問題なのかと言えば、親が内容を知らないという一点に尽きる。テレビとか本だと、親もチラ見くらいはしているので、知らず知らずのうちにフィクションの受け取り方を子に伝えているわけ。皆さんは、いつテレビのヒーローが実在しないと知ったか、覚えているかい?
 子供にフィクションとのつき合い方を考えさせる、という点において「ゲームリテラシー」教育、国語の教科書に小説が載っているのと同じ程度には、値打ちがあると思うけどね。
 ついでに、中学か高校でネットゲーム廃人が出ないようにリテラシー教育しておいて欲しいんすけど。これ切実。
posted by Dr.K at 22:26| Comment(7) | TrackBack(0) | 馬鹿は黙ってろ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ゲームに描かれていないものを考える、ってゲームを元ネタに置き換えると同人誌(あるいは二次創作)って基本的に全部そーなんでわ…それを平気で否定する/できるってのはいったい…自分の縄張り(と勝手に思ってる)に異質なものが入ってくると脊髄反射的に噛み付くからそーなるんでしょうねぇ。# よく見たら噛み付いたのは自分の尻尾だったってオチ?見方を変えると、ゲームの世界だから表面に見えるものしか見ない、ではなく、現実世界でも表面的なものしか見えてないから世の中おかしなことになってるんではないでしょうかね?
Posted by まぁくん at 2007年01月09日 13:34
いつもDr.Kさんの毒舌で面白おかしい記事を拝見させてもらっています。しかし今回の記事の「自閉症患者」という一言はどうしても受け入れることができません。自閉症の弟を持つ私はとても傷つきました。自閉症は病気でもなく入院しないといけない患者でもなく一人の命を持った人間です。人間に価値とか重さとか関係ありません。それだけはご理解頂きたくて書き込みさせていただきました。失礼しました。
Posted by m at 2007年01月09日 14:54
このたびは不適切な比喩となったことをお詫びするとともに、慎んで訂正させていただきます。また、冷静な態度で抗議いただき、ありがとうございました。
Posted by Dr.K at 2007年01月09日 15:27
2chに限ったことではないと思いますが、最近の情報メディアに関しては、こういうニュースもとりあえず表面しかみず、面白いレスをつけることに命をかけているのも居るわけでまた同時に、必死に頑張っているのはわかるんだけど、実際に精神が追いついていないから、逆に迷惑なレスになっちゃってるのも居るわけでだけど、仮面ライダーは居るんだよ!電車になっても居るんだよ!!ていうか皆が空想を求めてくれないと、俺が頑張る意味がなくなるわけですよ。これからなのに(苦笑)
Posted by そら at 2007年01月10日 05:35
大きいお客様を対象にがんばってみるというのではダメですか?
Posted by Dr.K at 2007年01月10日 17:07
子供の頃から徐々に洗脳していかないと、立派な戦闘員には(笑)
Posted by そら at 2007年01月10日 23:25
07年になっての初投稿、今年もよろしくお願いします。で、リテラシーってなんなんですか?意味としては読み書き能力。識字能力。ではゲームをくっつけてゲームリテラシーってなんですか?私の解釈では、ゲームを正しくプレイする能力。ゲームを正しく理解し認識する能力。どう考えても、ゲームリテラシーという用語の意味がへんてこな方向に突っ走ってるような気がするのは、私だけだろうか? 私の解釈でいくと、ゲームを正しくプレイする能力というのは、何をどうすることによってゲーム楽しめるものなのか、というのを正しく理解する能力。一例をあげると、ゲームセンターで何も分からずにコインを入れて10秒後にゲームオーバーになる人は、ゲームリテラシーに欠けると言える。ゲームを正しく理解し認識する能力というのは、ゲームはあくまで遊びであってフィクションである(一部例外もあるが)ということをキチンと理解する能力。一例をあげると、リッジレーサーでは運転が上手いのにといい現実で同じ事をやって事故を起こした人は、ゲームリテラシーに欠けると言える。 むしろ後者の考え方をゲームリテラシーという言葉で学術化して問題提起しているのだろうけど、「ゲームに描かれていないものを考える」という言葉というか考え方自体もそうだけど、かなりゲームリテラシーとは程遠いような気がする。「つまりスライムの気持ちを考えろと?」 という反論が出て当たり前、私なんか「ファイナルファイトでエディ.E が吐き捨てたガムを食べたコーディーの体力が回復してるぞ、美味いのかw」とか言いますよ、マジで。「ゲームをゲームと割り切ってプレイする、なんてのは枯れ果てたゲームとのつき合い方なの」とあるけど、ゲームリテラシー的に考えるとそうじゃなくて「ゲームとして割り切った上で、ゲームに書かれていない部分を空想補完などして楽しむのが、正しきゲーマーの姿」と言えるのではないでしょうかね?中学か高校でネットゲーム廃人が問題になってるけど、こういう人にこそゲームだと割り切る能力が必要で、彼らにはゲームと現実の境界線が希薄になっているからこそ問題なのだと思う。 もう一つ言うと、坂元教授の問題提起がそもそも大間違いなのでは。この場合「ゲームリテラシー教育」というよりも、「ゲームが与える人の暴力行動心理に対する影響」とでも言うのが正確なんじゃないだろうか?最近でこそレーティングが出来てきてるけど、まだまだ甘い。だからしっかりとした情操教育が必要だというなら理解できるけど、それを意味すら曖昧な「ゲームリテラシー」という造語で煽り立てるから、意味不明になってくる。確かにゲームリテラシーの一部分には属するのだろうけど、それをゲームリテラシーと定義する方が言葉の暴力だ。 ちょっと一発目からややこしく難解なことを書き込んでしまいましたが、あくまで私個人の見解です。今年も一年、おもしろおかしく、時に鋭い、珍品堂ブログを注視していきます。
Posted by ペインター at 2007年01月12日 11:51
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