以下ネタバレ含む
まず、マスコミの動きのリアルさ。原作でも、河童の出現がテレビで騒がれるという展開はあったが、映画はとにかくディテールが細かい。警察ともみあったり、張り込み中のヒマにまかせて犬と遊んだり、取材風景にきちんと緩急がある。テレビ局での「丸出しはまずいでしょ」は、本当にありそうなセリフだと思った。
次に、一般大衆の無責任さ。必死で逃げるクゥを見つけ、携帯電話のカメラで取り囲むシーンのおぞましさ。好奇の目で家に群がっておきながら、河童が超常の力を持つと知るや、危険だから追い出せと合唱する豹変ぶり。ニュース番組のどこかで見たことがある景色ばかりだ。
犬が元の飼い主を思いながら死ぬシーンは、先にいじめの連鎖が描写されていたために、ヘビーすぎてやばかった。一瞬、河童がどうでもよくなりかけた。しかし、バランスを崩してでも伝えたいことがあるのだな、と思わせた。
何より、河童の存在が明らかになったことで、主人公の少年が人気者になるどころか、クラスでハブられる空気のリアルさには恐れ入った。さすが、「クレヨンしんちゃん」を長く手がけてきた監督だけのことはある。子供社会のことを本当によく見ている。パンフレットで、クゥが去った後、主人公は学校でいじめられるでしょう、と言い切るその覚悟は極めて重い。いじめられた女の子は転校し、クゥは一夏の友情を残して去り、しかし主人公の少年はこれからも多分ハブられる。子供社会からいじめはなくならないが、少数の理解者がいれば生きるのに充分だ。人気者やヒーローを無責任に量産してきた凡百のアニメが決して語らなかった真実を、この映画は観客に力強く語りかける。
キャラで観客に媚びる萌えアニメや、少年が大人社会を破壊する厨二病アニメや、自分勝手を美しく飾ったセカイ系アニメ。そんな奴らがいかに深刻ぶって見せても、河童のクゥの重厚さにはまったく届かない。外の世界に伝えることを忘れたフィクションとは、かくも空虚なものだったのかと、改めて認識させられた。
気軽さ 1
リアルさ 10
重さ 10
個人的総合 9