2007年09月24日

「地球へ…」24 地球の緑の丘

 なんという時間切れエンディング。これで当初から予定されていた通りの回数で迎えた最終回とは、とても信じられない。
 
Tyl25_ol  最終回は、グランドマザーとの対決から始まった。ここで、意外な形で時代の影響が出る。原作では、グランドマザーを破壊することが、体制を壊滅させる決定的な手段となった。しかし、ネットワークが常識となった今日では、一台のコンピューターが破壊されたところで大勢に影響はないのだ。アニメでもその点が意識され、後方部隊がネットワークの無力化のために奔走する。ジョミーがいかに超人であっても、仲間の支援がなければ状況は打開されないのだ。
 その点では、キースもまた同様だ。民衆に呼びかけることで初めて体制は動いた。
 グランドマザーは、地球の将来を案じた昔の科学者の思いを、忠実に履行した。しかし、人の思いを継ぐのは人であるべきで、トオニィやセルジュが先人の思いを継ぐというアニメオリジナルの展開は、そのことを強調した表現なのだろう。

Npsrkkfe  この最終回、原作を読んでいない視聴者からは、キャラが死にすぎると批判をうけていた。キャラが死ぬのは一般的にはバッドエンド、おまけに後日談を二次創作することもできない(笑)。しかし、それは死=無とする視野の狭い解釈なのではないか。彼らの思いは受け継がれ、人とミュウはこれからも生きる。そもそも人間がどうやって歴史を受け継いできたかを考えれば、これもまた達成の一つの形だ。マードック艦長にまで死に場所が用意されているのは、多分それが選ばれた者だけのものではない、と見せるためだ。

 それにしても、本当に時間がない。グランドマザーや、メギドとの決着が数秒で済むのは、せっかく動くアニメなのに無念。原作にはあった、悠久の時を経て子孫が出会うというエピローグが、アニメではなかったのも残念。おかげで、緑になった地球がどこかおとぎ話のように見えてしまった。
 芸能人を呼んで厨ガンダムの前夜祭なんかやる暇があったら、もう一回くらい「地球へ…」を延ばしてやればいいのに!
posted by Dr.K at 10:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 手塚治虫 変容と異形 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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