奇しくも、その日発売のファミ通で、卒業生が開発者インタビューに載るという快挙。ビッグタイトルを支えるまでになったその足跡は、中途半端に業界をドロップアウトした私をとっくに越えている。優れた教え子に対し、名ばかりの師はどうあるべきなのだろう。
そこで、ふと思い出したのが手塚治虫のことだ。手塚を受け持った学校の先生は、彼が天才的な漫画家として大成したことを、どのように見ていたのだろうか。
手塚が、特に感謝していたのは、小学校の担任である乾秀雄先生だった。手塚が描き、授業中にクラスで回していたマンガを、乾は没収する。しかし、乾はそれを叱らず、返却時に「おまえは大いにマンガを描きなさい。将来きっと漫画家になれるだろう」と言い、手塚をたいそう驚かせた。(手塚治虫「ガラスの地球を救え」)また、乾は作文を重視した教育方針で、手塚のストーリーの想像力をのびのびと育てた。
今川清史「空を越えて 手塚治虫伝」は、手塚の少年時代のことをまとめた本であるが、この中で新聞が乾先生への取材を行ったときのことが紹介されている。
(前略)記者は乾先生に、「手塚治虫のような教え子をもったことを、どう思われますか」と訊ねている。
マンガの神様から「人生の恩人」といわれることは、教師冥利に尽きることではないだろうか。普通ならば、マンガ家手塚治虫があるのは、自分のおかげであるかのように己の教育実践を高らかに語るだろう。私ならそうするにちがいない。教育という形のない仕事にたずさわる者の多くは、教え子の成長に自分の実践のあとを探しだして、ささやかな自己満足を得ている。
ところが乾先生は、記者の質問に対して次のように答えている。
ぼくが彼にしてあげたことは特別にないけど、才能の芽をつむことはしなかった。これがぼくの教育者としての誇りですね。
太陽の恵みを受けて青々と葉の茂った若木をながめているような大らかで謙虚な言葉である。
教え子もすごいが、やはり師もすばらしかったのだ。自らの成功体験を振りかざせば、才能の芽は消える。教えるよりも見る方が仕事なんだと改めて思う。
手塚治虫、生きていれば今年で80歳。