2011年09月30日

コクリコ坂から その2

 この映画は、文化系クラブ出身の私にとって、次から次へと自分のルーツを思い出させてくれる恐るべき映画だ。

 そもそも、「コクリコ坂から」の時代に高校生だった人は、現在では65歳くらいになっているはずで、私よりも丸々一世代上となる。ところが、私が観てもなつかしいのだから困ってしまう。
 まず、カルチェラタン。私が中学くらいまでは、まだ木造の校舎が残っていた。あんなすごい建物はなかったが、私が在籍した学校のクラブ棟も、確かにあんな雰囲気だった。
 作中の学校新聞の原稿はガリ版で刷られていた。学校が古かったせいか、私は小学生のとき、この印刷を体験している。
 高尚な学問を志し、どこか背伸びした感じのある学生たちもなつかしい。今の若い人が観ると、集会のシーンなど、セリフに違和感を感じるのかも知れないが、ああいう学生は確かにいた。哲学部の学生なんかは特にリアルだった。ディオゲネスか。大学で後藤明生先生が、ホームレスを「大阪のディオゲネス」と称していたのを思い出す。

 細かなガジェットが、忘れていたものを思い出させ、私自身の出自が明かされていくかのような錯覚を味わった。本筋以外の所で、得難い経験をさせてくれた映画である。

posted by Dr.K at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画一刀両断 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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