2013年03月16日

ドラマ「泣くな、はらちゃん」の挑戦に括目せよ

 ドラマ「泣くな、はらちゃん」のストーリーが、予想外の域に踏み込んで視聴者を翻弄している。

 始まりは、マンガの主人公〈はらちゃん〉が、現実世界に飛び出して作者と恋に落ちるというものだった。実写ものでは珍しいが、アニメやマンガではわりとよくあるタイプのストーリーだ。
 こういう話は、比較的都会を舞台にした方が似合うと思うが、ヒロインの〈越前さん〉は、ひなびた漁港でカマボコ工場に勤めている女性だ。なぜこんな舞台にしたのか、私はもっと引っ掛かりを感じるべきだったのだ。
 寓話的な恋愛ものとして、〈越前さん〉が〈はらちゃん〉との交流を通して、徐々に現実を生きる力を得る話なのだろう。途中まではその通りの進み方だったが、中盤で早くも〈はらちゃん〉がマンガ世界の住人という真相がばれてしまい、なんだかそれだけでは済まない様子になってきた。

 〈はらちゃん〉はこの世界のことに無知なので、恋愛に限らず、あらゆることを一から学んでいく。「生きる」とは「死ぬ」とは「働く」とは。〈はらちゃん〉の目を通してテーマがどんどん広がり始め、ついには〈はらちゃん〉以外のキャラも現実世界に出てくるに至って、すっかり予想を超えてしまった。
 前回はついに、矢東先生の過去が明かされ、当初、最終回までに明かされると思われた謎がすべて片づいてしまった。マンガキャラたちもこの世界に落ち着き、残りの話は何をやったらいいのか、と思われたそのとき!
 〈はらちゃん〉達はTVを観て、現実のネガティブな事象を知ってしまう。戦争。保健所で処分を待つペット。飢餓。そして、ちょうど2年前となる震災の爪痕
 これらが報道映像のままの形で流されたインパクトは絶大で、現実世界という割には浮世離れして牧歌的だった世界観も、ああ、だから漁港だったのか、と何やら違って見え始めた。
 無垢だった者が、現実を知ってショックを受ける。どこかでこれと似た展開を見た、と思ったら「フィフス・エレメント」のリールーだった。若かりしミラ・ジョヴォビッチの出世作だ。

 悪い人がおらず、ある種の理想郷として描かれていたドラマ世界を、作り手が自ら破壊した形だ。視聴者にショックを与え、どのように残りをまとめていくのか。その挑戦に注目せずにはいられない。

posted by Dr.K at 16:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 馬鹿は黙ってろ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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