2013年07月16日

「THE LAST OF US」に心が折れる その4

 何度も心折れつつも、ついに生還。エンディングを噛みしめるように味わう。いいゲームだった。

 終盤のステージをプレイしている間、しみじみとした寂寥感が襲ってきた。そもそも、エリーを送り届ける、というのがジョエルの旅の目的だった。様々な体験を経て、二人の間には信頼が芽生える。しかし、目的地が近づけば、別れもまたすぐそこだ。幼いエリーが寂しさに耐えるのと同様、ジョエルもまた寂しさに耐えている。こんな感情をゲームから受け取ったのは初めてである。
Lou04

(以下に結末を含むネタバレがあるので注意!)

●戦うゲームではない!
 エンディングについては賛否がある。肩すかし、という印象を持った人も多いようだ。
 確かにそうだ。ブローターを超える強敵も出現せず、ラストバトルらしきステージもない。だが、そのようなエキサイティングな盛り上がりを味わいたい人は、戦争もののゲーム―例えば「バトルフィールド」とか―をやればいい。
 本作がエンディングに向かって盛り上げていくのは、あくまでも二人の関係から生まれる寂寥感なのだ。

●世界を救う物語ではない!
 抗体が完成して世界が救われたり、感染者を生んだ悪の企業が滅ぼされたり、といった大きな解決は用意されない。それどころか、ジョエルの行為は、世界が救われる可能性を摘み取ってしまったとさえ言える。
 だが、これこそが正解なのだ。すでに娘を失ったジョエルにとって、エリーまでも失うことは耐え難い。世界のためなら、少々の犠牲はやむを得ない、という主張は一見正論のようだが、悪の組織がよく言う言葉だということを忘れてはならない。

●始まりと終わりの呼応
 実はかなり洒落た構成の物語だ。
 プロローグで、娘のサラからもらった誕生日プレゼントは時計。ジョエルは、「これ動いてないぞ」と言う。もちろん嘘であり冗談である。だが、その娘を失ったことでジョエルの人生の時間は止まる。
 そして、ジョエルの時間はエリーとの旅の中で再び動き出す。結末に待っているのは、エリーを守るための嘘。実に工夫された呼応である。
 一方、ゲーム開始時にプレイヤーが操作したのはサラだった。エンディングで最後に操作するのはエリー。ジョエルの背中を追う娘二人。こんなところも見事に呼応している。

●スタート画面の謎
 ゲームをクリアすると、スタート画面の窓枠にナイフ(エリーの?)が出現する。実はこの窓、2011年頃のコンセプト映像に登場する窓にそっくりなのである。この映像では、エリーはかなり戦い慣れしているように見える。エンディング後も、二人はどこかの廃屋で感染者と戦っている、ということなのかもしれない。

 ノーティードッグ社は、プレイする映画を作り続けている。「アンチャーテッド」は、B級アクション映画を見事に再現。だがそれは、ゲームに近しいジャンルの物語なので、意外性はあまりなかった。ところが「The Last of Us」では、人間ドラマたっぷりのロードムービーを再現。ゲームではほぼ前例がないストーリーであり、新鮮な驚きがあった。今後も、このような新しい方向性のゲームを次々にリリースしてほしい。

posted by Dr.K at 06:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム百鬼夜行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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