2014年03月30日

ルパン三世 ルパンVS複製人間

 テレビ版ルパンをめぐっては、緑ジャケット派と赤ジャケット派に二分されるが、映画版のファンもまた、複製人間派とカリオストロ派に二分される。
 私は、以前は明確にカリオストロ派だったのだが、年をとるほどに、複製人間の味わいに惹かれるようになってきた。酒の味がわかってきた大人のような気分だ(笑)

 「ルパンVS複製人間」の公開は1978年。TVアニメもまだ数が少なく、ほとんどが子供向けに作られており、ルパンは特別な存在だった。映画に至っては、ガンダムもジブリもまだない。
 ルパンの映画としては一作目だというのに、いきなり主人公の死から始まって度肝を抜かれる。ルパンがどんな奴か、などという丁寧な説明は挟まない。参考にできる先行アニメがないおかげで、自由に思い切りよく作れたのだろうか。

●大人びたネタの数々
 トレーラーとのカーチェイスがある。スピルバーグの出世作「激突!」のパロディなのだろう。「カリオストロの城」の完成度には遠く及ばない乱暴な動きだが、私は好きだ。特に、勝って高笑いするあたりのノリが、大人の娯楽の余裕を感じさせる。

Kiriko_3

 マモーの城で、ルパンは歴史上の人物に出会い、キリコやダリの名画の中で逃走を繰り広げる。
 物語全体としては、マモーとルパンとの対決の背景で、冷戦時代のアメリカが痛烈に皮肉られている。
 政治、歴史、映画、絵画の一般常識を前提としており、子供を相手にしない。次元の名言、「なげぇ事、モンローとハンフリー・ボガードのファンだったが、今日限りだ!」も、当時すでに大人でないと共感できない「実際クラシック」なセリフだ。

●人間関係
 お馴染みのメンバーの関係が、なれあっておらずかっこよく描かれている。五右衛門は、「ルパンを他人に殺させたくはない、それだけだ」などと物騒なことを言うが、もとはルパンの敵だったことを知っている人はどれくらいいるのだろうか。不二子もルパンを翻弄するだけでなく、愛情を見せている。銭形警部は狂気の人である。彼がルパンを追う執念深さは、軽いギャグとして扱われることが多いが、この映画では本質を見せる。
 そしてルパン。彼の夢が何であったか、はこの辺を見てもらうとして、宝のためでもなく、誰かを助けるためでもなく、自分の主義主張のために、最後の戦いに挑むのがいい。これこそ男のロマンでありルパンなのだ。
 つまり、「カリオストロの城」は、宮崎作品としては傑作だが、ルパンとしては邪道なのだ。囚われのお姫様と城、とルパンとをつなげる仕掛けにはこだわったが、ルパン一味の関係はパターン化されてしまった。しかもその方が子供に受けたため、以降のルパンでは、「カリオストロの城」が基本になってしまった。それは、ゲストヒロインと舞台を更新し、ルパン一味の関係はフォーマットに沿って描くという方法だ。

●ルパン音頭

Lupin 最後の戦いをシリアスに決めた後、マンガチックな爆発オチ。とどめに「ルパン音頭」である。余韻も何もあったものではない。
 ここまで真剣に作られているのに、娯楽として軽く落とすところが大人の余裕であり粋というものなのだ。こういうふざけ方に拒否反応を示すようでは、まだお子様である。歌っているのは三波春夫だが、ハマりすぎていてルパンの声にしか聞こえない。泣かせたり感動させたりするものだけが名作、という狭い価値観を爆破していて痛快だ。

開拓者の心 8
大人の心  10
声優の若さ 9
個人的総合 8

posted by Dr.K at 11:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画一刀両断 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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