フランスのドキュメンタリー映画。小学生が学校へ行く。ただそれだけで、子供は偉い、と感心してしまいます。
登場するのは、世界中から選ばれた、困難な通学をしている子供たち。ケニアの子は、象に襲われないように気を付け、アフリカのサバンナを走ります。アルゼンチンの子は、山や平原を馬で駆け抜けます。モロッコの子は、同行の友達が足を痛めてしまったのでヒッチハイク。インドの子は、手作りの車いすで弟たちに運んでもらっての登校です。
本当に登校する様子を見せるだけ。その日、学校に着いたら映画は終わってしまい、驚きました。よくあるドキュメンタリーのように、取材者が出演してやりとりをしたり、解説ナレーションが流れたり、視聴者に何かを訴えたり、という作為が全くありません。音楽さえあまり流れません。子供たちの行動がすべてを物語っており、そんな演出は不要、ということなのでしょう。
子供たちは、ただひたむきに、学校へ向かいます。自分の目標のためだけではありません。親の世代は学校へ行けておらず、彼らに夢を託しているのです。通学中も、兄弟や友達を守り、助け合うその姿には、大人顔負けの責任感があります。ケニアの子は、この日、国旗掲揚の当番でした。その表情は誇りに満ちています。教職は聖職であり、学校は聖地である。この映画の中では、それを実感します。
なぜ私は、成人近い学生たちに、欠席しないように言うのが日課なのでしょうか?
ゴールデンウィークを控えたこの日、映画館には子供連れのお客さんがたくさんいました。こんな映画なので、子供が退屈してしまうのではないか、と心配したのですが、誰も騒がず、静かに見入っていたようです。真剣な子供の気持ちは、子供の観客にも伝わるものなのですね。やっぱり子供は偉いです。
作為性 1
喜劇性 6
将来性 10
個人的総合 6
おまけ
来日トークイベント:ケニアの少年、日本に来てた!
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