2017年05月30日

ライオン 25年目のただいま その2

 迷子になったサルーは、施設に保護されるが、その環境は劣悪。オーストラリアに住む裕福な夫婦、ジョンとスーに養子としてひきとられることで、どうにか無事に育つこととなる。観客は、サルーの危険に満ちた足跡を観ているので、ああよかった、という感想が先に立つが、一つ重大な謎が残る。
 夫婦はなぜ養子をとったのか。
 この夫婦は、サルーを迎えた一年後、さらにマントッシュを養子にする。マントッシュは虐待のトラウマを抱えており、ジョンとスーを大いに困らせる。サルーとマントッシュの仲もまた、うまくはいかない。
 単に子供が欲しいのであれば、わざわざインドから、訳ありの子供を預かる必要などない。

(以下に、物語の核心となるネタバレを含む)

 物語の終盤、スーは告白する。
 スーは実の父に虐待されて育った。幼いスーは、茶色い肌の子供と幸せな生活をする、というイメージを見、これが自分の未来だという確信を得た。それだけなら、天啓か予知かで済まされてしまいそうな話だが、続く言葉は私を驚かせた。

「自分の子供を産んでも世界は良くならない。恵まれない子供を助け育てる方が意義がある。」

 スーは、その考えに同意したジョンと結婚し、あえて自分の子供をもうけなかったのだと語る。
 想像もしなかった考え方だ。今の日本では、少子化が問題になっており、自分の子供を産むのが正しいこととされている。しかし、途上国などでは人口は増えており、その中に多くの恵まれない子供が含まれている。彼らを助けることには、確かに多大な意義がある。しかし意義があるからといって、人種も国も異なる養子に、我が子として愛情を注げるものだろうか。スーの存在こそが、この実話の最大の奇跡ではないのか。
 一方で、この映画はサルーの旅を通じて、血のつながった親子の関係を礼賛しており、温かい気持ちで映画館を後にすることができる。色々な人に観て考えてほしい一本だ。
posted by Dr.K at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画一刀両断 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック