2017年07月23日

メアリと魔女の花

 ジブリを飛び出し、スタジオポノックを立ち上げた米林宏昌監督。心機一転、これまでと違うものを作るかと思ったらさにあらず。ジブリ時代の集大成のような作品をぶつけてきた。
 「魔女宅」のように飛び、「ラピュタ」のような旅をし、大学は「千と千尋」のような舞台で、敵は「ポニョ」や「ハウル」で見たようなデザイン。おまけに声は「アリエッティ」や「マーニー」で聞いたことがある俳優ときたもんだ。よそのスタッフがやったら到底許されないが、これでパクりと言われないのが米林監督率いるポノックの強みだ。宮崎駿監督が作らなくなって久しい、直球の冒険活劇、アクション映画を見せてくれたのは素直に良かった。
 しかし残念なことに、見た目に反してスケール感に乏しい。
 米林監督の過去の作品、「アリエッティ」は一軒の家が舞台。「マーニー」もお屋敷とその周辺くらい。なので、少ない登場人物で話がまとまっていた。一方、「メアリと魔女の花」は、人間界と魔女の国とが交差する「ハリーポッター」に比すべきスケールの話のはず。それなのに、登場人物が極端に少なく感じるのだ。
 理由は、圧倒的なモブの薄さ。メアリの周囲に、村の住人らしき姿がほとんど認められない。魔女の大学に至っては、学生の顔の区別もつかない。他人がいないから世界観に厚みが出ないのだ。これが宮崎駿監督なら、「ラピュタ」の炭鉱の町、「もののけ姫」のタタラ場、「ハウル」の異国の街に至るまで、ありとあらゆる場所が人で満たされ、物語に影響のないモブでさえ一人一人個性を与えられていたわけで、そうした手のかかる描写があればこそ、世界は生きたものとなりスケールの大きさを感じさせたのだ。
 何のとりえもないメアリが、魔法を褒められて調子に乗ったり、つい嘘をついてしまったり、一人称的な心理描写には長けた作品と感じる。しかし、魔法を「手に負えないエネルギー」と表現し、原発事故と重ねたメッセージを発するのはまだ早かったようだ。

既視感 8
スケール感 3
ネコの存在感 9
個人的総合 5

他の方の「メアリ」評
忍之閻魔帳 …辛口!
琥珀色の戯言 …普通

posted by Dr.K at 17:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画一刀両断 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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