2017年11月11日

ブレードランナー2049

 完膚なきまでに続編だった。
 なにしろ前作から30年以上経っている。「続編」と宣伝されていても、新作から観て大丈夫、というふうに作られている方が普通だ。だが、「ブレードランナー2049」は違う。明らかに前作を観ておく必要がある。

 30年の間に、映像表現は進歩した。であれば、「ブレードランナー」の名を借りたアクション大作になってしまっても不思議はなかった。だが、「ブレードランナー2049」はそうならない。前作が提示した思考実験をきちんと受け継ぎ、ゆったりと間を持たせ、もの悲しい展開もそのままだ。昨今の映画の中では、かなり異質の仕上がりと言うしかない。

注:以下にネタバレを含む

 「ブレードランナー」では、人間とレプリカントとの間に、人間性の差異はないということが示された。
 そして「2049」、ブレードランナーのKはレプリカントだ。新型が旧型を狩る、殺伐たる世界観が示される。しかもその貢献は人間に感謝されず、嫌われる存在だ。そんなKをなぐさめるのがAIのジョイだ。Kの奴、見た目と違って2次元に逃げるオタクみたいなところがあるのね(笑) 急に親しみがわいてくる。
 神の子である人間と異なり、レプリカントは人が製造したものである。これが人間優位の宗教的・精神的な根拠となっていたのだが、Kの調査で、過去にレプリカントが出産したという奇跡が明らかになる。これは人間中心の社会を揺るがす出来事である。Kは、この出産により生まれた子供を探し、殺すよう命じられる。一方、レプリカントの開発者であるウォレスは、生産性向上のため、レプリカントに出産機能をつけることを画策しており…
 Kは、人とレプリカントとの間で激しく翻弄される。捜査の過程で、自分こそがその生まれた子である、という可能性さえ出てくる。鍵を握るのは前作の主人公デッカード。ハリソン・フォードの出番が思ったより遅くて、予告編の印象と全然違う。新旧ブレードランナーが共闘してウォレスを倒す、なんて平凡な話じゃなくて本当に良かった。終盤で現れるのは、レプリカントのレジスタンス組織。待て待て、これじゃ「リベリオン」になっちゃうぞ、と一瞬あわてるが、Kは彼らと行動を共にしない。そして、自らの選択によって「人間らしさ」を体現した。そして物語は、美しく悲しい結末を迎える。
 でも実は、Kは思い詰める必要などなかった。映画の始まりから、彼は紛うことなき人間だったからだ。人間もどきのKと、肉体すら持たないジョイとの恋愛。人間性の定義を拡大する行動を、彼らは自然に行っていたのだから。

ビジュアル忠実度 8
音楽忠実度 8
再登場サプライズ 8
個人的総合 8
posted by Dr.K at 20:59| Comment(0) | 映画一刀両断 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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