宮崎駿の新作を、事前の情報抜きで観るという体験そのものに希少価値がある。と思ったので、公開2日目に観てきた。
以下はネタバレになるので注意されたし。
●宣伝なし
まず、ちゃんとしたジブリのアニメで良かった!
「思い出のマーニー」完成後、ジブリのスタッフは解散したと聞いていたので、「実は未完成なのでは」「作風が大幅に変わってしまうのでは」「フル3DCGになったりするのでは」はたまた「監督が一人で描いた線画を動かすのでは」などと心配していたのだが、普通に完成していたことに安心した。
誰だよ、途中から実写になって宮崎と押井と庵野がバトルを始める、なんて言った奴。
誰だよ、途中から実写になって宮崎と押井と庵野がバトルを始める、なんて言った奴。
●父
舞台は戦時中の日本。眞人は、病院の火事で母親を亡くし、田舎へ疎開することになる。出迎えたのは母の妹のナツコ。ナツコは父の再婚相手で、すでに妊娠していた。
また「風立ちぬ」みたいな映画か? と訝しむのも一瞬、違和感だらけの設定に驚く。眞人は戦時中なのに、裕福な暮らしをしているのだ。というのも、父が戦闘機などを作る工場を経営しており、羽振りがいいからだ。父ときたら、サイパンが陥落しても、仕事が増える、と豪快に喜んでいるくらいなのだ。宮崎駿のファンならば、これは宮崎の父をモデルにした人物では、とすぐ気づく。
田舎の貧しい子供たちの中で、眞人のようなお坊ちゃんが馴染めるはずもない。新しい母にも心を閉ざし、居場所のない眞人の前に、不気味なアオサギが現れ、異界へと招く。
●塔の世界
リアルに描かれた現世から一転、塔に入るとファンタジー世界の冒険になる。このオリジナリティ、この想像力。こういうものをまた観られるとは思っていなかったので本当にうれしい。
一方で、過去のジブリアニメを思わせる場面があまりにも多いことが気になった。宮崎駿は、同じものを繰り返し描くような監督ではない。何か意図があるのではないだろうか。
物語の終盤、突然それが明らかになる。行方不明の大叔父が、塔の世界の管理者になっており、眞人にその役割を継がせようとするシーンだ。大叔父によれば、〈13個の悪意のない石〉を積むことで、この世界を維持できるのだという。しかし、インコ大王が石積みを崩し、塔の世界は崩壊する。
物語の終盤、突然それが明らかになる。行方不明の大叔父が、塔の世界の管理者になっており、眞人にその役割を継がせようとするシーンだ。大叔父によれば、〈13個の悪意のない石〉を積むことで、この世界を維持できるのだという。しかし、インコ大王が石積みを崩し、塔の世界は崩壊する。
実は、宮崎駿が監督したアニメがちょうど13本となる。つまり、塔の世界は過去のジブリアニメの世界であり、だからこそ既視感のある場面が詰め込まれていたのだ。継承を断った眞人は宮崎吾朗か、それとも米林宏昌か。また、インコ大王に相当する破壊者は誰なのか。考えてみるのも面白い。
●生まれる。
前作「風立ちぬ」は、「生きねば。」というコピーだった。逆に言うと、それくらい死の匂いにまみれた作品だった。宮崎駿の、引退への決意がそうさせたのかもしれない。
しかし、「君たちはどう生きるか」は違った。塔の世界で、眞人はわらわらに出会う。わらわらたちは、空へ飛び立ち、やがて現世で生命となるのだという。このシーンにハッとなった。宮崎駿は、再び最後の映画を作るにあたって、死を描くのではなく、誕生を描こうとしているのではないか。結末では、ヒミもまた「眞人を生むために」現世に帰る選択をした。そしてナツコは、眞人の弟を生んだ。
宮崎駿は、かつて引退会見で、「この世界は生きていくに値する」ことを子どもに伝えたい、と言っていた。塔の世界はなくなっても、現世に希望はある。そして誰かが新しい塔を築くのだ。
アニメーション 9
既視感 10
考察必要度 10
個人的総合 7
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