「ゴーストワイヤー トーキョー」をクリア。数年前のゲームなので、いまさらシステムやストーリーを誉めても需要がないだろう。しかし、エンディングまで見て、隅々まで開発コストを抑える工夫が行き届いていることに感心したので、それについて書くことにする。
まず、技術的な割り切りについて。
海外でFPSといえば、「Call of Duty」や「Battlefield」が代表格だ。これらのゲームは、1人プレイのモードであっても、人と対戦しているかのようなリアリティを追求した。長年の研究を経て、遮蔽物を巧みに活用したり、チームで連携したりする、高度な敵AIが実現した。
一方、国内のメーカーはそのような研究をしてこなかったので、同じ土俵に立つことができない。「ゴーストワイヤー」は、敵を知能の低い妖怪と設定、旧来のアクションゲーム程度の行動ですませることで、開発コストを抑えた。
また、海外のゲームでは、同行者がストーリーやゲームのアドバイスをしてくれるという演出が多い。これも、不自然な動きをしないために高度なAIを必要とする。「ゴーストワイヤー」では、KKが同行者にあたるが、彼は主人公の体に同居している霊体なので、声だけで役目を果たすことができ、大変に安上がりだ。
次に、デザインの節約について。
敵の幹部は般若をはじめ、それぞれ面をかぶっているが、これによって、表情を作る必要がなくなる。実はこのゲーム、顔があるのは主人公と妹、KKと凛子くらい。霊たちは半透明で顔がなく、マレビトも多くはのっぺらぼう。エンディングで主人公は両親と再会するが、それさえも面布をしていて顔がない。極端なまでに、顔を描くことを避けているのだ。
海外では、フェイシャルアニメーションの研究が進んでおり、大作ゲームでは、俳優の顔をキャプチャーすることも珍しくない。「ゴーストワイヤー」は、そこまでの技術と予算がなかったと予想できる。しかし、PS5専用タイトルとして海外でも売っていくために、CGがショボいと思われることは避けねばならない。その結果が、顔を描かないデザインという工夫になったのだろう。
節約ばかりでは、ただのケチ臭いゲームだ。「ゴーストワイヤー」は、背景に全力を注いだ。現代日本がこれだけらしく見えるゲームは他になく、海外の大作ゲームに負けない魅力を放っている。まさに選択と集中。このゲームの開発スタッフは本当にやりくり上手だ。

