2025年10月04日

国宝

 ヤクザの息子、喜久雄(吉沢亮)が二代目半二郎(渡辺謙)に引き取られ、歌舞伎の世界へ。人間国宝に至るまでの50年を描く。

 喜久雄と俊介(横浜流星)による、圧巻の舞台が評判を呼び大ヒット。6月の公開から、いまだに上映が続くロングランとなり、実際の歌舞伎もいつになく盛り上がっていると聞く。
 しかしこの映画、一筋縄ではいかない。物語は熱狂的だが、その作りは極めて冷徹な計算で成り立っている。
 気付いたきっかけは劇伴だった。見せ場となる歌舞伎の最中に、BGMを割り込ませたのである。歌舞伎の演技を魅せるのであれば、舞台の音の邪魔は避けるはず。この映画にとって、歌舞伎の演目は、あくまでドラマを伝えるための手段なのだ。
 そう思って見ると、撮り方にも見どころがある。喜久雄がうまい、俊介がきれい、といった観客目線のカットももちろんあるが、舞台側から観客を見るような、演者視点のカットが印象的に差し込まれ、知らず知らずのうちに感情移入させられていた。普通なら決して見ることができない、舞台裏の仕掛けを見る楽しみも大きい。
 さらに、歌舞伎の演目が、喜久雄や俊介の心情とリンクするように選ばれ、巧みに切り取られていることが伝わり感心した。演目に対する知識はなくとも、その場の感情は演技からわかる。広くあらゆる客層に楽しんでもらえる演出で、今後予定されている海外進出も期待できるのではないだろうか。私も、大学で辛うじて「曽根崎心中」は知ったな、という程度の客だが、問題なく楽しむことができた。
 歌舞伎なので画面は鮮やかになりがちだが、鍵となる風景はモノトーン。冒頭、長崎の雪景色と、結末の「鷺娘」が美しく一致する。忘れられないように、間で何度か見せている親切さもうまい。
 3時間にわたる長丁場でありながら、物語は特に後半、駆け足になる。一度は道を外れた俊介と喜久雄がどのように一線に復帰したのか、別れた彰子(森七菜)のその後はどうなったのか、など気になる事が飛ばされた。とはいうものの、あれもこれもと語り尽くす野暮さがないスピード感も、現代的でいいのかもしれない。

映像美 9
熱狂度 9
スピード感 9
個人的総合 8

他の方の「国宝」評
忍之閻魔帳:原作からの補完、ありがたい。
映画にわか:時代性を分析
posted by Dr.K at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画一刀両断 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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