2025年09月01日

ジュラシック・ワールド 復活の大地

 あまり評判が良くないが、個人的には「新たなる支配者」よりは楽しめた。

●別シリーズじゃダメ?
 「炎の王国」で、恐竜たちが放たれてしまったため、「新たなる支配者」は恐竜が野生動物のように人類と共存する、まさしく「ジュラシック・ワールド」となった。ところが今回、冒頭のテロップで、恐竜が現代の気候に馴染めず、赤道の特定の地域以外で死滅したと告げられる。ここまでを無かったことにする強引さに驚いた。「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」が似たようなことをやっていたのを思い出す。
 大ヒットシリーズの続編だからこそ商売になるのは承知の上だが、キャストも一新されていることだし、「ジュラシック〇〇」という新シリーズとしてスタートした方が良かったのではないか。「ガンダム」や「ゴジラ」のように毎回世界観が違ってもファンがついてくる、というのは日本だけなのだろうか。

●バカ映画宣言
 研究所で新しい恐竜を作っていたら、事故が起こって…というお約束の始まり方なのだが、原因がお菓子の袋というしょうもなさ! 事故なんていくらでも想像できるはずなので、わざわざこんな原因にしたのは理由があるはず。
 もともと、スピルバーグ監督が「サメの次は恐竜だ!」くらいのノリで撮ったのが元祖「ジュラシック・パーク」。ところが、シリーズを重ねるにつれて、科学のモラルを問う内容や、人類と恐竜の共存といった、高級感のあるテーマが目立つようになってきた。
 「復活の大地」の始まりは、これはただの恐竜パニックでバカ映画ですよ、と宣言する。主人公たちが命じられる、陸海空のデカい恐竜からサンプルを採れ、というミッションもバカっぽいし、何も知らない一家が騒ぎに巻き込まれ、運だけで生き残っていく展開もバカっぽい。そんなわけで、ストーリーについてはおよそ褒められないが、一つ一つの場面は迫力があって映像としては非常に楽しい。

●やっぱり別シリーズじゃダメ?
 物語終盤、施設に着いた一行はミュータント恐竜に襲われる。旧作のオマージュとなる場面であり、普通にラプトルでも良さそうなシーンだ。しかし、前作までのブルーの活躍により、ラプトルを敵として出しにくい事情があるのだろう。Dレックスの囮になった傭兵が助かったのには驚いたが、続編で再度遭遇させようという手加減だろうか。やっぱりシリーズを改めて、この監督お得意の怪獣プロレスをやらせたほうが思い切りが良かった気がする。

楽しさ 8
深刻度 1
作家性 2
個人的総合 6
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2025年08月19日

終わりの鳥

 難病の少女、チューズデーのもとに、死を司るコンゴウインコが現れました。いよいよお迎えというわけですが、少女は、母が戻るまで待ってくれるよう頼みます。

 古今、映画の中で〈死神〉は様々な姿で描かれてきましたが、インコというのは初めて。また、〈死神〉は超然とした性格であることが多いのですが、このインコは自分の仕事に苦痛を感じているようです。
 チューズデーが彼の初めての友達となり、死を延期してもらう話かな、と思っていたら、母のゾラがそれをぶち壊しにします。

注:以下ネタバレ含む

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2025年08月04日

スーパーマン

 ギャグが多めでお気楽に観られるが、一方でシナリオの手際に感心させられた。

 スーパーマンをリブートするにあたり、彼が地球に来て育てられた経緯をどう見せるのかと思ったら、まさかの全カット。まるで2作目のような始まり方で驚いた。しかも過去作のエピソードをなぞっておらず、完全に新規作。これまでのスーパーマンについて、あらかた忘れている私のような観客には好都合だ。
 最初のスーパーマンは、地球上でただ一人の超人として、シリアスで孤独な印象があった。ところが、今回は他のヒーローもすでに飛来しており、終始にぎやかだ。正直、ランタンやテリフィックの意味不明な超能力の方が見栄えがする。敵も、いかにもなヴィラン超人から巨大怪獣までバラエティに富んでいて楽しい。そして何より犬のクリプト。映画では、賢い忠犬がよく登場するが、クリプトの場合、最後まで駄犬のままおいしいところを持っていくのが新しい。
 実在の地名が出てこない世界観なのをいいことに、イスラエルやロシアを想起させるアメリカの戦争介入への批判が展開され、フェイク動画を思わせるスーパーマン侵略者説の描写など、今を鋭く切り取った作品になっており、賞レースでも健闘しそうだ。でも、一般の観客はただスーパーマンの戦いを楽しめばよい。メッセージ性を押し付けない姿勢がまた鮮やかだ。

 まだ公開して間もないのに、「鬼滅」のせいで上映回数が極端に減らされている。良作なので、観ておくことを勧めたい。

始まり方 9
政府批判 8
終わり方 9
個人的総合 7

他の方のレビュー
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2025年07月28日

劇場版「鬼滅の刃」 無限城編 第一章 猗窩座再来

 これはお見事。2時間半を越える長編なのに、中身が詰め詰めである。
 上弦とのバトルが凄い、各キャラのエピソードに感動した、などの絶賛は他所に任せることとし、私としてはそこに至るまでの導入を評価したい。鬼殺隊は無限城でバラバラになってしまい、それぞれに戦いを余儀なくされる。次々に場面が切り替わり、ザコ鬼を一掃して進むのが、無双ゲームのようで気持ちいい。「第一章」では出番の少ないキャラもいるので、ここで一通り見せ場を作っておく、という意図もありそうだ。
 「鬼滅」のスタッフにはインド映画のファンが潜伏しているのではないだろうか。スケールの大きな背景、アクションのテンポ感、スローモーションの多用。それらに加えて、いつもと違って(?)鼓動のようにドラムを叩くBGMがそう思わせたのかもしれない。映画館で観るにふさわしい高揚感あふれる映像だ。これはたまたまかもしれないが、後から後から回想によって深刻な物語が明かされる構成も、「RRR」を思い出させた。
 あまりに見事なので、第二章以降この面白さを保てるのかが気がかりだ。今回メインとなる猗窩座は「無限列車」以来の因縁の敵であり、視聴者にも以前から強い印象がある。一方で、童磨は今回が初バトルなのでぽっと出の域を出ず、黒死牟に至っては顔を見せているだけだ。果たして猗窩座戦以上の盛り上がりを見せる事ができるのだろうか。
 司令部では、カラスの目を借りて無限城のマップを作っている。まるっきりドローンによる遠隔操作である。昔を舞台にした物語だが、今のテクノロジーが反映されるんだな、とおかしかった。

 デートで来ていると思しき若者がいたが、昔だったらバトルもののアニメなんて選択肢に入らないだろう。いい時代が来たもんだ、と感慨深かった。まあ、猗窩座に関しては悲恋ものと言えなくもないので、存外デートに向いているのかもしれない。

無惨活躍度 1
猗窩座活躍度 10
インド映画度 7
個人的総合 9
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2025年07月21日

once ダブリンの街角で

 2007年の映画がリバイバル上映。ジョン・カーニー監督の出世作ですが、「はじまりのうた」も「シング・ストリート」も観たのに、これだけは未見だったので良い機会でした。

 物語は、主人公が弾くオリジナル曲を、一人の女性が褒めるところから始まります。しかしこの恋、始まった瞬間から厳しい。
 男は30代のストリート・ミュージシャンで、食べていくことはできないので、普段は父の店を手伝っています。それが掃除機の修理なのですが、アイルランドでは珍しくないのでしょうか、まるで自転車屋くらいの感じです。女性は修理を頼むのですが、掃除機を犬のように引っ張って町を歩くのが妙にかわいいです(笑)
 一方、女性の方ですが、チェコから来た移民で、花売りを仕事にしています。暮らしは貧しく、電話もありません。後ほど、夫はチェコにいて別居中、幼い娘と母の面倒を見ていることが明かされます。とうてい、過去を捨てて新しい恋に、という気分にはなれません。
 海の向こうにはロンドンというきらびやかな都会があるのに、アイルランドの地方都市はどんよりしている。東京との格差を気にする日本の地方民のような、リアルな不景気感が画面から漂います。歌が多い分テンポも悪く、憂鬱な前半で正直めげそうになりました
 ところがこの物語、音楽に関してだけはファンタジーなんですね。楽器店での即席のセッション、女性のアパートでの歌いながらの飲み会、そしてスタジオを借りてのデモCDの作成。歌も気のせいかテンポアップ、希望に満ちた後半に救われました。
 最後に、男は一人でロンドンに旅立ち、女性に別れを告げることが叶いません。男は代わりにピアノを贈ります。粋な結末ですが、置く場所がなかったらどうするんだろう、と要らぬ心配をしてしまいました。
 この文を読んだ人にはバレバレですが、エンドロールで、主人公と女性に名前がなかったことに気付き、びっくりしました。会話に全く不自然さがなく、見事な脚本です。調べてみたところ、二人とも本業はミュージシャンで、俳優として映画に出たのもこの作品だけなのだそうです。キャスティングもお見事でした。

 今回のリバイバル上映、日本最終上映だそうです。他の映画でもたまに見かける言葉ですが、上映権には期限があるのです。これはという作品のリバイバル上映は、逃さず観るようにしないといけませんね。

キャスティング 9
大人度 10
楽曲 8
個人的総合 5
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2025年07月12日

海がきこえる

 93年にテレビ放送用として作られた、ジブリアニメの中でも特にマイナーな作品。こんなのリバイバル上映しても、大してお客は入るまい、と思っていたら、ほぼ満席! しかも、当時を懐かしむような歳ではない、若者がけっこう集まっているではないか。

 ジブリ作品は何度観ても古びない。それは、ファンタジー世界や、過去を舞台としており、時代に関係なく物語が伝わるからである。しかし、「海がきこえる」は現代劇。その世界観は時代性をうつしていて古臭く、特に、里伽子のキャラクター性は90年代のトレンディードラマでよく見るものと言える。一方、アニメで当時の若者をリアルに描き出そうとする試みは、「君の名は」などへの萌芽のように感じられるところがあり、ただ古臭いで済まされない可能性を感じた。

 最初に観たときには、何だか煮え切らない感じの結末にがっかりしたものだが、今回は、同窓会のシーンに感じ入るものがあった。明子の見違えぶりがなんだかとってもリアル。アニメの登場人物が大人になるという描写は、なかなか珍しいのではないだろうか。単に私が歳をとっただけ、ということかもしれないが。

恋愛度 7
友情度 8
懐古度 9
個人的総合 6
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2025年07月04日

サブスタンス

 デミ・ムーアがアカデミー賞の主演女優賞を惜しくも取り逃したこの映画、R15+と書いてはありましたが、まあ裸が出るくらいのもんだろう、と甘く見ていました。なんとまあ、究極のグロ映像かつスプラッターじゃないですか! 私、意外に耐性がなかったみたいでぐったりとなりました。

 エリザベスは、ウォーク・オブ・フェームに名前を刻むほどの大女優。しかし、50歳を迎えて人気も衰え、番組を降板させられてしまいます。失意のどん底の彼女に、怪しい男が接近し、新薬サブスタンスを紹介。使ってみると、若く美しい肉体が現れました。彼女はスーと名乗り、エリザベスに代わって芸能界に飛び込みます。

 まず、撮り方がキレキレですね! 卵の黄身でサブスタンスの機能を想像させる開幕。ウォーク・オブ・フェームだけでエリザベスの現状を伝える演出。そして、信じられないくらい端的なサブスタンスの説明書。映像の力ですべてを伝え、セリフやテロップに頼らない作りは実にスタイリッシュで、グログロの物語と全く釣り合いません。
 次に、音楽がノリノリですね! サブスタンスの使用にはルールがあり、エリザベスとスーは、7日毎に交代して肉体を休ませなければなりません。予想通り、このルールが破られることによって、恐ろしい結果になるのですが、とにかくハイテンポで音楽に合わせて進むため、勢いよく破滅に向かっていく変な高揚感が味わえます。前半から、無理のある展開がぽつぽつあって違和感を覚えるのですが、終盤が吹っ切れ過ぎていてどうでもよくなります(笑) 変わり果てた彼女の姿に、既視感があるのですが何だったか思い出せません…
 食べ物が美味しそう、という映画はいくつも知っていますが、こんなに食べ物に悪意のある映画は初めて。気持ち悪い咀嚼音、不潔な料理シーン、食べ散らかし放題の部屋など、散々です。エリザベスが美しさを保つために、長年食事を制限してきたのでこういう認識に至るのでしょうか?
 当然、エリザベスの老いとスーの若さを対比するような演出があるのですが、若さはケツだ! という強烈な主張が新鮮でした。

 公開してだいぶ経っているので、リピーターが多かったのでしょうか? 皆さん落ち着いて観ている感じで、初見だった私一人が振り回されていたみたいで悔しいです。こんなのが作品賞にノミネートされるとは、アカデミー賞も懐が広い、と感心します。

アート度 9
グロ度 10
流血度 10
個人的総合 5

他の方の「サブスタンス」評
なんでもマーケ視点でごめんなさい:デミ・ムーアの受賞スピーチ
映画にわか:私が知らないホラー情報が満載
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2025年06月19日

岸辺露伴は動かない 懺悔室

 「岸辺露伴」、二度目の劇場版は前作よりも面白かった

 「ルーヴルへ行く」も、海外ロケで撮られていたが、その物語は〈和製ホラー〉の雰囲気が濃く、スケール感もあまりなかった。ところが「懺悔室」は、ほぼ全編が海外ロケで撮られ、物語も土地柄に合っている。本物感あふれる背景で、真剣に演じられるポップコーン対決は極めてシュールで、原作の忠実な実写化になっているのだろう、と思わせた。
 私はドラマから「岸辺露伴」に触れたにわかであり、マンガの内容を知らないのだが、聞くところによると、「懺悔室」の後半は映画オリジナルの作り足しなのだそうだ。違和感なくまとまっており、相変わらず見事な脚本だと感心した。
 露伴や京香はいつも通りの好演だが、このタイミングで二人を結婚式に立ち会わせるのは、なんだかメタな演出に感じた。何より、今回はゲストの熱演が凄かった。浮浪者役の戸次重幸、色々なドラマでお馴染みの役者なのに、メイクのせいで最後まで誰だかわからなかった。水尾役の大東俊介、マンガの絵が目に浮かぶような迫真の表情だった。そして田宮役の井浦新、静かな狂気を感じさせるたたずまいが見事だった。
 「懺悔室」は、原作では一話目にあたる。そろそろ原作も尽きてきた頃かと思うが、今回の映画で、オリジナルのエピソードでシリーズを続けることは可能と確信した。今後も何かあることを期待したい。

ジョジョ度 6
スケール 7
安定感 8
個人的総合 7
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2025年06月15日

JUNK WORLD

 遥か昔、聖書や神話を書いた人たちも、きっと楽しかったんだろう。

 「ジャンク・ヘッド」から4年、思ったより早く登場した続編は、正直言って心配だった。前作は、監督の堀貴秀がほぼ一人で作り、その異常なまでのこだわりが評価され、全国のミニシアターで楽しまれた。今回はその成果を受けて、スタッフも増員し、アニプレックスが配給し、東宝などのメジャーな映画館で上映と大出世している。中途半端に有名になる事で、個性が損なわれてしまうのではないか? 凡作に収まってしまうのではないか? そこが心配だったのだ。
 第一幕、予想が的中してしまったか、とがっかりした。確かに映像はスケールアップしている。しかし、この行き当たりばったりの進行はどうだ。もともと、映像については素人だった監督が独学で始めた「ジャンク・ヘッド」。以後、アニメーションはうまくなったが、シナリオについては素人のままということか。
 ところが第二幕、その予断は吹っ飛ばされる。第一幕の粗さは計算されたものだったのだ! 監督がついこの前まで素人だった、という知識のせいで騙されてしまった。
 以降も物語は膨張を続け、ついには「ジャンク・ワールド」のタイトルにふさわしく、新しい神が、世界がそこに顕現する。人類が滅びかかったディストピアだというのに、画面のどこからも創造の喜びが発せられていて、私は幸福感で満たされた。ロビンの一挙手一投足に、監督の思いが投影されているように感じるのは、物語のせいだけではなく、ストップ・モーションで作られているからこそだろう。
 前作同様、ギャグはしょうもないが、日本語よりもゴニョゴニョ版(字幕)がお勧め。聞き取らせるつもりがない言語なのをよいことに、あちこちで悪ふざけしていて失笑が起こっていた。
 パンフレットはついに2500円に達した。前作同様すべてが監督の言葉で占められ、評論家のレビューもない。見どころはすべてです! と言う監督は他にもいると思うが、だからといって全カットの写真を載せるなんて前代未聞。他の映画の倍以上の分厚さになっている。

 メジャー路線への意欲など全くなく、初志貫徹のインディー仕様。このぶんだと客入りも悪そうなので、速攻で記事にした。物語を、世界を創ることの楽しさがここまで伝わってくる作品は他にないので、クリエイター志望者には特にお薦めだ。ぜひ皆さんもこの奇跡を見てほしい。そして私は、完結作となる三度目の奇跡をぜひとも、この目で見届けたいと思うのだ。

映像美 8
神話度 10
唯一無二度 9
個人的総合 9
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2025年06月10日

教皇選挙

 アカデミー賞ノミネート作ということでもともと期待されていたのに加え、上映期間中に本物のコンクラーベが始まり注目度が大幅アップ。予想外のロングランとなり、集客も好調なようだ。私も遅れて観た一人である。

 教皇が急死し、首席枢機卿のローレンスがコンクラーベの開催を任される。候補者として、守旧派のテデスコ、リベラル派のベリーニ、初の黒人教皇を目指すアデイエミらが有力視される。リストになかったベニテスが新たに候補者として加わったり、トランブレが生前の教皇に解雇を言い渡された疑惑が持ち上がったりと、選挙は波乱の様相を見せ始める…

 世界史の教科書でしか知らないコンクラーベ。物語の前半は、その秘密の儀式の詳細が映像化されているのが見どころとなる。歴史ある礼拝堂のロケーションが素晴らしいのだが、バチカンが撮影許可など出すはずがなく、実はセットだというのだから驚きだ。粛々と手続きが進むが、何しろ会話だけなので、正直、刺激が少なく物足りない。
 ところが、物語の後半は一転して、教皇の座を争うミステリー仕立ての展開で、俄然刺激的になってくる。枢機卿たちは最上位の聖職者であるはずだが、世俗の政治家たちのように醜く足を引っ張り合う。これは、カトリックを批判しているのではなく、外の政争を風刺しているのだろう。テデスコがどんどんトランプのように見えてくる。
 候補者が次々に脱落し、教皇になるつもりのなかったローレンスは、覚悟を決めて自分に票を投じようとする。以降の怒涛の展開は、エンターテインメントに振り切っており、驚いた。皆さんもぜひ結末に呆然としてほしい
 パンフレットは、ネタバレ部分が分けられている親切な作り。投票用紙が挟んであるのも粋だ。

重厚感 8
ミステリー度 8
エンタメ度 8
個人的総合 7

他の方の感想
「教皇選挙」観たよ:確かに面白すぎるのが問題
映画「教皇選挙」感想:ハンター×ハンターと比べるとは
posted by Dr.K at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画一刀両断 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする