2025年06月01日

赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道

 世界名作劇場50周年ということで、高畑勲監督の「赤毛のアン」がリバイバル上映。同じ枠の番組として、「アルプスの少女ハイジ」は何度となく再放送されているが、アンにはそういう機会が少ない気がするので、思い切って劇場へ。

 この映画は「赤毛のアン」の序盤をまとめたもので、ダイアナもギルバートも登場する前に終わってしまう。それでもこれだけ満足感があるのは、記憶を遥かに越えて素晴らしかったからだ。放送当時は私がまだ幼すぎて、この良さをほとんど理解していなかったのだろう。
 まず背景。昔のテレビアニメとは思えない自然風景が見事。室内の家具や小道具も緻密だ。放送後、プリンス・エドワード島への観光客が増えたというのも納得である。これ、聖地巡礼の元祖と言えるのでは。 
 次に、人物描写。マシュウやマリラといった、大人のキャラの表情が味わい深い。子供アニメならわかりやすく記号的な表現で良さそうなものだが、複雑な感情を丁寧に動かしている。私も今やマシュウに近い年齢で、彼の言動の一つ一つが泣けてしょうがない。一方で、アンの過剰な語彙力は、今見ると微笑ましいが、子供の頃の私には共感できなかったのを思い出した。
 世界名作劇場は、アニメとしてはスタンダードの極みといったイメージがある。「赤毛のアン」も、普段は静かな場面が多く落ち着いた映像だが、アンの空想については思い切ったアニメーションで描かれ、実は前衛的だ。当時は全部手描きなので、なんとも味がある。後の「かぐや姫の物語」にも通じるところがあると思った。
 オープニングをすっかり忘れていたのだが、これがまた非常にアーティスティックだ。特に、楽曲が全く子供っぽくないのに驚いた。子供向けの作品は子供だましではいけない、と言ったのは誰だったか。本気で作られていることが伝わり、背筋が伸びる思いだ。

 「赤毛のアン」を題材にした新作アニメが放送している折ではあるが、こんな凄い先達があってはいささか分が悪く気の毒だ。

映像美 8
演技力 8
語彙力 9
個人的総合 8
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2025年05月07日

RRR:ビハインド&ビヨンド

 「RRR」のメイキングを記録したドキュメンタリーがまさかの劇場公開。メイキングなんて、DVDの特典映像や、サブスクの番組程度で充分。そう、普通の映画ならば。しかしこれは「RRR」。面白い映画はメイキングも面白い、という当然の結果が待っていた。

 本編を彩る数々のアクションシーン。あんなものがすべて実際に撮れるはずはなく、ワイヤーだったり模型だったりCGだったりを駆使して作られているわけだが、その使い分けにかなり意外性があった。ロケだろうと思っていた背景が実はCG、かと思うと逆に、これはCGだろうと思っていたアクションが実写撮影というケースもあり、予想外の連続にくらくらさせられる。一番印象に残ったのは、ラーマが転倒する場面だろうか、背景の天地がぐるぐる回転する演出。てっきり編集ソフト上で映像を回転させていると思ったら、実はカメラを筒に入れ本当に転がして撮っていた
 エンディングについて、監督から解説があったのは収穫。あのダンスでは、主演俳優の2人がインド独立運動の英雄たちを讃えているのだそうだ。ラーマとビームが実際の英雄を讃えている、という解釈は違っていたみたいだ。
 メイキングだけではなく、公開後の反響についてもまとめられている。アカデミー賞歌曲賞の受賞は、作曲者の喜びが伝わってきて、こっちまで感動してしまう。インド国外でのヒットについては、アメリカだけでなく、日本にも触れられていて嬉しい。

 普段は、現場の熱量など作品の仕上がりから推し量るしかないが、こうして直接見せられると、映画制作っていいなと感嘆させられる。そして、もう一度本編が観たくなる。「RRR」のリバイバル上映を並べている映画館がちらほら見受けられたが、大正解だ。

ファン必見度 10
現場の熱量 10
監督の覚悟 10
個人的総合 7
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2025年05月03日

花嫁はどこへ?

 インド映画と言えば、近年はアクション大作が売り込まれている印象がありますが、ヒューマンドラマにも名作が多いことを忘れちゃいけません。

 ディーパクは、花嫁の実家で式を挙げ、いよいよ彼女を家へ連れ帰ります。日本で言う大安吉日のようなものでしょうか、列車には新婚の夫婦が何組も乗り合わせています。しかも、花嫁は皆同じ衣装でベールを下ろしているので、さっぱり見分けがつきません。ディーパクは列車でうとうとしてしまい、気が付くと降りるべき駅に着いていました。慌てて花嫁とともに降りるのですが、家へ帰ってベールをとると、なんと中身は別の女性! 花嫁のプールは、はるか遠くの駅で途方に暮れています。一方、取り違えられたジャヤの方は、なぜか本来の夫の家へ行こうとしません…

 プールは、すべてを夫に委ねている従順な女性で、インド旧来の家父長制の中では理想的な花嫁と言えるでしょう。しかしそのせいで、はぐれてしまうと何もできません。そんなプールは、周囲に助けられながら、徐々に自立した女性へと成長していきます。一方、ジャヤの方は、学のある進歩的な女性で、彼女の発言が、ディーパクの家の女性たちを変えていくことになります。
 このような物語では、男性は否定されるべき敵として描かれることが多いのですが、「花嫁はどこへ?」はそうではないのが素晴らしいです。男性側も多くは良心的な行動をし、想像を上回るハッピーエンドを迎えます。恥ずかしがらずにこういう結末へ突き抜けることができるパワーは、インド映画の魅力の一つ。特に、汚職警官のマノハル、あんなのずるいですよ。
 パンフレットは、社会的な背景などをしっかり解説してくれるので有用。作中に、馴染みのない料理が多数登場するのですが、レシピまで載っていて感心しました。

風刺度 7
善人度 9
幸福度 9
個人的総合 9
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2025年04月13日

お隣さんはヒトラー?

 1960年、南米コロンビアで一人寂しく暮らすマレクは、ホロコーストを生き延びたユダヤ人です。ある日、隣の空き家にヘルマンと名乗るドイツ人が越してくるのですが、ふとしたことから、彼がヒトラーであると気付きます。役所に訴えるのですが、ヒトラーなどとっくに死んだはず、と全く相手にされません。マレクは写真機と、ヒトラーについて書かれた本を買い込み、決定的な証拠をつかむために隣家を見張り始めます。

 マレクにとっては、家族の仇であるヒトラー。はじめのうちヘルマンは、部下に守られ、凶暴そうな犬も連れており、いかにも恐ろしい人物に見えます。しかし、調査を始めたマレクは、写真を撮るだけでなく、筆跡を確認しようとしたり、隣家に侵入して調べたりと、恐れ知らずの行動に出て視聴者を冷や冷やさせます。果たして隣人はヒトラーなのか? スパイ映画のような謎を扱っているのに、ビジュアルは偏屈な爺さん二人が不器用につきあっているだけ、というギャップが笑えます。しかも、ただの悪ふざけで終わらず、それぞれの戦後に向き合うきちんとしたお話になっている。結末の余韻はなかなかのものでした。ヘルマンとカルテンブルナー夫人が親しくなり、今後の人生が少しでも良きものになればいいですね。
 映画ではいささか使われ過ぎのヒトラーですが、まだ新しい切り口があるのだな、と感心しました。

地味度 8
滋味度 7
エンディング 8
個人的総合 6

他の方の感想
夜な夜なシネマ:別れが切ない
映画にわか:粋な珍説映画
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2025年04月10日

どうすればよかったか?

 昨年から、ミニシアターで静かにロングランを続けている、話題のドキュメンタリー映画。
 姉が統合失調症にかかったが、両親はそれを認めず、やがて自宅に軟禁する。実家を離れた弟は、姉を医者に診せるよう親を説得。帰省するたびに撮影した、一家の20年以上にわたる記録である。
 一般に、ドキュメンタリーと言えば、作り手に伝えたいことや主張したいことがあり、それに沿って映像をつなげていく。だがこの映画は、冒頭のテロップでそういう目的はない、と否定する。タイトル通り、問いかける作品であり、「この親は間違っている」と白黒がつけられるような話にはならない。
 ほとんどの観客は統合失調症に詳しくない。刻々と変化していく姉の様子を、ハラハラしながら見守ることになる。しかし、私が一番ショックを受けたのは、時の流れの残酷さだった。
 監督である弟が帰省するのは年に一度、あるいは数年おきだ。断続的な映像の中で、両親は急速に老いていく。認知症になった母は、もはや姉の面倒を見るどころではない。父の体も年相応に不自由になっていく。まるで私の家のようで、いたたまれなかった。父は教養のある研究者で、母は認知症というのが全く同じなのだ。私は両親と同居なので、変化は日々少しずつ起こっているが、映画の時間に圧縮すると、こんなにも絶望的な変化に感じられるのか、と愕然とした。
 映画を終わらせるために、監督は父に最後の問いかけをする。それを受け止めるだけの心は父にはもうない。今は施設にいる私の父と同じ様子を感じ、酷だと思った。

オリジナリティ 9
当事者性 10
作品性 1
個人的総合 評価不能

他の方の感想
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2025年04月04日

ミッキー17

 「オール・ユー・ニード・イズ・キル」のように始まるが、「風の谷のナウシカ」のように終わる。色々と惜しい凡作である。

 借金取りに追われるミッキーは、宇宙へ移民となって逃れるため、〈エクスペンダブルズ〉に志願する。〈エクスペンダブルズ〉とは、使い捨て人間。危険な仕事や人体実験に使われ、死ねば直ちに新しい肉体が〈プリントアウト〉され、記憶もバックアップされる。宇宙船は、植民地候補となる惑星ニフルヘイムに着いたが、調査に駆り出されたミッキーは、その星に住む怪物、クリーパーに襲われてしまう。

 物語冒頭は、ミッキーが繰り返し使い捨てられる。周囲に倫理観が欠片もなく、エグい世界観でインパクトがある。〈プリントアウト〉は超技術のはずだが、古びたインクジェットプリンターのようにつっかえつっかえ出力されるみすぼらしさで笑える。ミッキーにとっては、警備担当のナーシャとの交際が心の支えだが、何度再生されても次のミッキーと平然とつきあうナーシャの感覚も理解しがたいところがある。

注:以下にネタバレ含む

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2025年03月25日

トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦

 香港映画を劇場で観るのは、多分これが初めて。

 香港へ密入国したチャン・ロッグワンは、身分証の偽造をめぐって大ボスともめ、九龍城へ逃げ込む。九龍城のリーダーであるロンギュンフォンに居場所を与えられ、新しい生活を始めるロッグワン。しかし、ロッグワンには、マフィアに狙われる理由が他にもあった…

 アクションの楽しさに焦点が絞られており、長尺なのにおよそ無駄のない作りに感心する。
 九龍城はモノに溢れ、複雑かつ立体的な構造が、アクションを最大に引き出す。落ちたり登ったり隠れたり、ゲームではまだできない凄まじい戦いを見せてくれる。登場人物は多いが、その背景を掘り下げたりしない。それでいて、年寄り世代が武術に沿った技で戦い、若手が今風のケンカ殺法で戦うなど、アクションの質でキャラクターを描き分けている。頭脳戦となる局面もほぼなく、シンプルに力を競うことで問題は解決する。およそ女性が出てこず、恋愛ドラマなどない。最後の敵を倒したら、実にあっさりと幕を引く。
 今は失われた、九龍城へのノスタルジーを伝える作品だが、それが、日本の昭和ノスタルジーに通じているのが意外だった。日本の歌が流れ、日本の駄菓子が売られ、日本のアダルトビデオが登場している。人種が近いこともあり、九龍城がまるで日本のスラムのように見えてくる。
 オープニングで、過去の闘争がモノクロの映像になっているが、もう一度観たら、あのキャラがいる、このキャラもいる、となるんだろうなあ。

バイオレンス 9
アクション 9
ノスタルジー 9
個人的総合 8
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2025年03月20日

Flow

 こんなにお勧めの対象がハッキリした映画は珍しい。短期間で公開が終了しそうな予感がするので、急いで記事にします。

 主人公は一匹の黒猫。突然の洪水で逃げ場を失いますが、そこへ一艘の船が現れます。先客のカピバラと共に、黒猫の行く当てもない旅が始まります。

●特定のゲームのファンにお勧め!
 「ICO」「風ノ旅ビト」「人喰いの大鷲トリコ」、このへんのゲームにピンとくる人には、完全にお勧めできます。
 まず世界観。南米や東南アジアを思わせる意匠の遺跡が雰囲気たっぷり。家やボートがありますし、犬にペットらしい習性も見て取れるので、最近まで人間がいた気配ですが、どこまでも無人の世界が広がっています。
 次に、物語。黒猫の身辺しか描かれないので、そこ以外で何が起こっているのかは説明されません。加えて、言語が一切使われません。人語を話さずとも、動物同士は話が通じている、という設定の作品もありますが、「Flow」にはそれすらありません。
 本当に、上に挙げたゲームをプレイしたときのような気分になり、私にはぴったりの作品でした。

●猫好きにはもちろんお勧め!
 愛猫家の皆様は、黒猫の一挙手一投足を追いかけるだけで満足できるのではないかと思われます。
 動物が主人公といっても、他の作品では、擬人化されたキャラクターになっていることが多い。しかし、「Flow」は動きや習性が完全に動物のままとなっており、猫の猫らしさが素晴らしいです。冒険を押し進めるために、少しばかり人間的な考えが見える部分はありますが…。
 また、世界が滅亡するかのような災害ではありますが、猫が残酷な目にあったりはしませんので、お子様方も大丈夫です。

●制作環境
 ラトビアの小さなスタジオで作られ、全編3DCGのこの作品ですが、なんと、Blenderで作られたそうです。3DCGのツールは、プロ向きのものは言うまでもなく高価。ところが、Blenderは無料のツールであり、ゲームの個人制作などでよく使われるものです。使いこなせば、このような劇場での視聴に耐えうる映像が作れるのですね。驚きました。

注:以下にネタバレを含む

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2025年03月03日

ミッチェル家とマシンの反乱

 2021年のアニメ映画。スマホのAIアプリ、PALの反乱から、偶然に逃れたミッチェル一家が、人類を助けるべく奔走する。
 当時はコロナにより劇場公開が見送られ、配信に回されてしまったが、アニー賞に輝き、アカデミー賞にもノミネートされたので、傑作らしいと聞いてはいた。このたび、Eテレで放送されたのでようやく実際に観ることができた。ありがたい。

 映像的にも尖っていて面白いが、何よりシナリオの完成度の高さに舌を巻いた。コンピューターの反乱で人類がピンチに陥るという、空想的なストーリーでありながら、本題となる家族の再生が極めてリアルに描かれている。しょうもないギャグと思ったものが、ことごとく伏線となって決戦に生かされるのも気持ちいい。こういう無駄なく計算されたシナリオは、ディズニーやピクサーのお家芸だったのだが、最近はとんと見られない。
 娘のケイティは、映像作家を目指して芸術大学に入った…と言えば聞こえは良いが、その作品は、ネットミームにまみれたショート動画っぽいもので、お世辞にも将来性があるとは思えない。そのせいか父の方につい気持ちが行ってしまう。観客に、なぜ娘の才能を信じてやらないんだ! と思わせる内容になっていないのは珍しい。意地の悪い見方をすると、表現があまりにも流行りに乗り過ぎているので、数年後には若者から何だかよくわからない古臭い作品と言われる公算が大。
 ここぞの場面で、アプリで加工したようなエフェクトが入り、この映画自体が未来のケイティの作品かもしれない、と思わせる演出はうまい。また、エンドロールが完全に作品の一部となっているので、Eテレのノーカット放送で本当に良かった。

映像美 8
計算高さ 9
時代性 10
個人的総合 8

他の方の注目すべきレビュー
三幕構成で分解してみた:シナリオを分析しつつ絶賛
便座は上がってる:珍しい否定的意見
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2025年02月24日

 映画「敵」を観てきた。タイトルが一文字だと検索に支障あるな!

 儀助は、元大学教授。妻は20年前に亡くなり、一人暮らしを続けている。規則正しく起き、料理をし、原稿を書き、時には友人や教え子と会う。しかし、淡々とした日常に、一通のメールが届く。〈敵〉の上陸を警告するそれを、儀助はいつもの迷惑メールとして無視するが、そこから徐々に日常がおかしくなっていく…

 この映画では、何が現実であり、何が〈敵〉なのか明かされないので、解釈の余地が非常に広い。それを面白いと思える人には大いにお勧めできる。
 〈敵〉とは、迫りくる死や老いであろう。儀助はあまりにきちんと暮らしていたが、それは老いを受け入れないための防衛的な態度とも言える。数々の悪夢を経て、儀助は老いを受け入れ、破れかぶれになって立ち向かったのである。
 しかし、そうとも言い切れない。物語の前半、儀助の遺言には、相続の対象として教え子の靖子や椛島の名前が挙がっていた。ところが、最後に読まれる遺言では、甥の槙男だけが指名されている。悪夢の中で、靖子や椛島との関係は無茶苦茶になってしまうので、書き換えたのだろうか。もしかすると、靖子や椛島の訪問自体がすべて夢だったのかもしれない。そうなると、槙男が双眼鏡で見た儀助は、かなり恐ろしいタイプの霊ということになる。
 全編モノクロの映像は、美しいと同時に、現実と夢の境界をあいまいにする。色がないのに料理の数々がおいしそうなのは驚いた。編集者が突然厚かましくなって鍋を食べる場面に、最も筒井康隆らしさを感じた。他の作品にも必ず出ている人物だ。

キャスティング 8
予測不能度 7
飯テロ度 10
個人的総合 6

posted by Dr.K at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画一刀両断 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする