世界名作劇場50周年ということで、高畑勲監督の「赤毛のアン」がリバイバル上映。同じ枠の番組として、「アルプスの少女ハイジ」は何度となく再放送されているが、アンにはそういう機会が少ない気がするので、思い切って劇場へ。
この映画は「赤毛のアン」の序盤をまとめたもので、ダイアナもギルバートも登場する前に終わってしまう。それでもこれだけ満足感があるのは、記憶を遥かに越えて素晴らしかったからだ。放送当時は私がまだ幼すぎて、この良さをほとんど理解していなかったのだろう。
まず背景。昔のテレビアニメとは思えない自然風景が見事。室内の家具や小道具も緻密だ。放送後、プリンス・エドワード島への観光客が増えたというのも納得である。これ、聖地巡礼の元祖と言えるのでは。
次に、人物描写。マシュウやマリラといった、大人のキャラの表情が味わい深い。子供アニメならわかりやすく記号的な表現で良さそうなものだが、複雑な感情を丁寧に動かしている。私も今やマシュウに近い年齢で、彼の言動の一つ一つが泣けてしょうがない。一方で、アンの過剰な語彙力は、今見ると微笑ましいが、子供の頃の私には共感できなかったのを思い出した。
世界名作劇場は、アニメとしてはスタンダードの極みといったイメージがある。「赤毛のアン」も、普段は静かな場面が多く落ち着いた映像だが、アンの空想については思い切ったアニメーションで描かれ、実は前衛的だ。当時は全部手描きなので、なんとも味がある。後の「かぐや姫の物語」にも通じるところがあると思った。
オープニングをすっかり忘れていたのだが、これがまた非常にアーティスティックだ。特に、楽曲が全く子供っぽくないのに驚いた。子供向けの作品は子供だましではいけない、と言ったのは誰だったか。本気で作られていることが伝わり、背筋が伸びる思いだ。
「赤毛のアン」を題材にした新作アニメが放送している折ではあるが、こんな凄い先達があってはいささか分が悪く気の毒だ。
映像美 8
演技力 8
語彙力 9
個人的総合 8
演技力 8
語彙力 9
個人的総合 8

