2019年05月18日

「どろろ」第十六話 しらぬいの巻・第十八話 無常岬の巻

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 お待ちかね、しらぬいの登場だ。50年前のアニメでは、この話は含まれなかったため、なんと初の映像化となる。原作をうまくアレンジした造形が秀逸だ。なお、マンガでは隻腕ではない。

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 山や森で化け物退治をすることが多い「どろろ」で、海を舞台にした今回は異色のストーリー。巨大な人食い鮫となれば、どうしても「ジョーズ」が思い浮かぶが、実はマンガの「どろろ」の方が先。上陸して人間を襲う、というB級サメ映画のような展開もこの時点でやっており、手塚の発想の先見性に感心させられる。どろろが鮫の鼻先に立つという無謀すぎる作戦も、原作の通りにアニメ化されて嬉しい。

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 裸にひん剥くなんてひどい! という感想が見られたこの場面も、構図も含めて原作通り。
 しかしながら、ストーリーはかなり変えている。マンガでは、岬に攻めてくる侍たちはモブに過ぎなかったが、アニメでは多宝丸一行となり、より重要な戦いとなった。そのとばっちりで、しらぬいが直接百鬼丸と剣を交える機会がなくなり、印象的だった水葬シーンもないのは残念だ。
 そして最大の変更は、お宝。マンガでは、宝はすでに移されており、もぬけの殻だった。背中の地図は無意味だったという結末は、連載が打ち切られたこともあって、さらに虚無的な印象を強めた。ところがアニメでは、財宝が発見される。これは物語の終わり方に大きく関わってくるかもしれない。国に対抗するために使われるのか、それとも国を立て直す元手になるのか。

 …などとまじめに考えていたら、次回予告がギャグ回でどっちらけ。だがちょっと待て。このBGMはほげたら節のリスペクトではないのか。全く油断も隙もないアニメだ。
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2019年05月03日

田中圭一「若ゲのいたり」

 田中圭一が有名クリエイターにインタビューし、なつかしのゲームの開発秘話を引き出すルポ漫画。Webで連載されていたものが、ついに単行本になった。迷わず買うべし。
 今もWeb版は全編無料で公開されているが、こういうものはいつ消えるかわからない。やはり、後世に遺そうと思ったら紙の本に限るのである。
 内容は、ゲーム業界に詳しい人なら既知の事も多かろう。しかしそこは田中圭一。ゲーム開発経験者ならではの思い入れが発揮され、他では聞けない話が散見される。特に、「アクアノートの休日」「ゾイド」の回は貴重である。

 さて、田中圭一が得意とする、絵柄を変える技は今作ではなりを潜め、全編が手塚風で描き進められている。しかし、名越稔洋だけは本宮風に描かれていた。やはりそうなるか、と笑ってしまう。
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2019年04月27日

「どろろ」第十四話 鯖目の巻・第十五話 地獄変の巻

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 まだまだ名エピソードを残している「どろろ」、いよいよマイマイオンバが登場。
 「鯖目の巻」、赤ん坊妖怪がびっくりするほど原作準拠の姿で登場。これは続きに期待、と思ったが「地獄変の巻」がずいぶんあっさりしていて残念だった。原作でのマイマイオンバ戦は、美しい湖を舞台に、歌舞伎のような芝居ががった演出となっており、印象に残る内容。これがアニメになって動くとどうなるか、と楽しみにしていたのだが…。
 一方で、鯖目の描かれ方は掘り下げられている。原作では、化け物にほれ込んで家族を作ってしまった、私情で動く人物に過ぎなかったのだが、アニメでは領民のために化け物と契約しており、つまりはスケールの小さな景光になっているのだ。この挿話の悲惨な結末は、百鬼丸が景光を討てばどうなるか、その未来を暗示する。道を違えようとするどろろこそが、それを変えるための希望である。

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 さて、2クール目に入り、エンディングが変更になった。ほとんどのカットがぼんやりした抽象的な映像で、何をうつしているのか気になる。そして、最後のカットを見るに、これは百鬼丸の視界を表していると予想できる。
 本編では、いずれ百鬼丸の眼が取り戻されることになると思うが、それにあわせてエンディングもはっきり見えたりするのだろうか。
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2019年04月22日

諸星大二郎「雨の日はお化けがいるから」

 新刊「オリオンラジオの夜」を楽しんだ後、ふと表紙を見ると小〜さな字で〈諸星大二郎劇場 第2集〉と書かれているのに気が付いた。じゃあ第1集は何なんだ。

ameobake.jpg そんなわけで、探して買ってきたのがこの「雨の日はお化けがいるから」。雑多な短編が収録されている中で、特に印象に残ったのが「ゴジラを見た少年」だ。
 2014年の「GODZILLA」は、海外製とはいえ、久しぶりに復活したゴジラ映画だった。それを記念してビッグコミックが特集を組み、様々な作家がゴジラにちなんだマンガを寄稿した。「ゴジラを見た少年」はその中の一本となる。
 少年はゴジラを夢に見る。東日本大震災の被災者が、その日のことをゴジラが来た、と表現するわけだ。夢と現実、初代ゴジラの時代と現在、それら境界を行きつ戻りつするうちに、厄災の化身としてのゴジラが形作られていく。
 これは驚嘆すべき発想で、2014年版ゴジラとはあまり関係がない一方、初代のゴジラと、まだ作られていない「シン・ゴジラ」との間をつなぐ作品となっているのである。

 「シン・ゴジラ」も神話的な側面を持つ作品だが、諸星版ゴジラも見てみたくなった。
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2019年04月20日

モンキー・パンチ氏を悼んで

 モンキー・パンチが亡くなった。享年81歳。tsujilupin.jpg

 「ルパン三世」の作者として知られるが、不思議なことにマンガがそれほど読まれているとは思えない。この点では、「サザエさん」の長谷川町子に通じるものがある。私も、「ルパン」のアニメはよく観たが、マンガは読んだことがない。辻真先による「小説ルパン三世」を読んでいるのはちょっと自慢できるかもしれない。
 先日の「金曜ロードSHOW」では、追悼番組として「ルパンVS複製人間」が放映された。ベストなチョイスだと思う。「カリオストロの城」では、宮崎駿のイメージにしかならない。

 以下は、このブログでのモンキー・パンチ関連記事。イタリアを舞台にした「ルパン三世Part4」は、かなり気に入って視聴していたのに、全く記事に書いていなかったとは不覚である。

 追悼放送を観たが、一つ一つの場面がアート的にこだわっていて、現在の手慣れたアニメにはない味がある。傑作だ。

 こんなものが作られても文句ひとつ言わない原作者は稀。

 最近の作画崩壊は基準が高すぎる。こいつを見よ。

 ジブリ亡き後は、ヴァニラ飯を推したい。

 この盛り上がりにリアルタイムに参加できたのは幸運だった。


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2019年04月07日

「どろろ」第十一・十二話 ばんもんの巻

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 家族との再会、そして百鬼丸と多宝丸の対決。前半の締めくくりにふさわしい濃縮された物語だったが、結果、九尾が止めを刺されたのかはっきりせず、百鬼丸の体も戻っていない。次回で何か説明があるのだろうか。

 さて、このアニメでは、多宝丸が深く掘り下げられている。ただの恵まれた子ではなく、領主の子としての自覚と正義感があることがわかる。百鬼丸の真実を知った彼が、兄を討つと決めたその覚悟は非常に重い。原作で、兄と知らずに百鬼丸と戦ってあっさり死んだ多宝丸とは大違いだ。一命をとりとめた多宝丸は、映画の「どろろ」のように、景光亡き後の領主となるのかもしれない。
 原作ではシンプルに悪だった景光も、領主としての冷酷な覚悟を感じさせる、一理ある人物になっている。母親が自殺するのも原作にない展開である。さらに、原作では殺された助六と母が、無事に再会したという改変。再会した家族から拒絶される、百鬼丸の孤独がより鮮明に浮かび上がる仕組みだ。
 このままでは暗黒面に落ちてしまいそうだが、それを助けるのがどろろということなのだろう。50年前のアニメと違って、視聴率が悪いからと急にコメディにするようなことはないはず。どんな後半を迎えるのか、とても楽しみだ。
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2019年03月23日

「どろろ」第九話 無残帳の巻

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 声が戻ったものの、片言でしかしゃべれない百鬼丸。おそらく、どろろの言葉を聞いて、だんだん話せるようになっている。そのことをどろろスピードラーニングと名付けた奴、やめなさい(笑)

 オリジナルエピソードをいくつか挟み、待ってました、第九話はどろろの生い立ちを語る「無残帳」。キャラクターデザインは原作から大幅変更、火袋もイタチもリファインされてやたらかっこいい。
 しかしながら内容は原作に非常に忠実。「火袋がずた袋になっちまった」「槍ってものはこう使うんだ」「曼殊沙華はどうして血の色をしているんだろう」など、印象的なセリフもそのままに、名場面が展開する。母がおかゆを素手に盛る場面は、ジョジョの「スティールボールラン」を思い出した人も多いようだが、原点はこちらだ。
 今回のアニメでは、どろろが熱で倒れたことにより、この回想場面に入った。そのため、原作にあった雄大な場面転換のビジュアルが使われなかったのだが、代わりにオープニングの一部になっている。空を覆う馬が野盗の襲撃場面につながる見事なコマ運びを、ぜひ動く絵で見たかったのだが。
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2019年03月16日

諸星大二郎「オリオンラジオの夜」

orionradio.jpg 昔のヒット曲を起点に、縦横に想像をめぐらせた短編集。これは傑作です。「ぼくとフリオと校庭で」の頃と全く遜色がない。

 やはり自由に描いた時の諸星大二郎は最強ですね。特にまとまりやルールを決めるわけでもなく、一つ一つ、興味の赴くままに綴られているのですが、エッセイやら日常やらとは無縁。昭和の風景とラジオの曲、そして諸星作品ならではの不思議世界が三位一体となり、唯一無二の個性を放っています。
 今、唯一無二と言いましたが、諸星作品を読み慣れていると、過去の作品のあんな場面、こんな場面が何度も思い浮かびます。つまり同じモチーフが繰り返されているわけですが、ネタ切れなどとはあまり思いません。有名なバンドがいつもの曲調で新曲をリリースしてくれるような、信頼の諸星印と感じます。

 ところで、「西暦2525年」の演出で、一部の絵がモザイク処理されているのですが、アシスタントはほぼ使わないと言われている諸星先生、ついにデジタル入稿を始めたのでしょうか?
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2019年02月17日

「どろろ」第五、六話 守子唄の巻

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 手塚治虫が嫉妬のあまり蘇って、正規の完結編を描き始めそうな出来。

 原作既読でだいたいの予想がついているのに、圧倒的な救いのなさに息も絶え絶えになった。まっさらな視聴者が受けた衝撃は、想像するだに恐ろしいものがある。
 さて、今回悲劇のヒロインとなったみおだが、原作では、百鬼丸がどろろと出会う前の回想場面に、わずか数ページ出演するだけの人物である。そのエピソードを上下2話にまたがる内容にふくらませたのも驚きだが、合間に今後の展開に関わる伏線を仕込むという周到さがまた憎い。
 例えば、百鬼丸を鬼神に捧げたことによって、醍醐がどんなご利益を得たのか、原作ではあまりはっきりしなかった。ところがこのアニメでは、それが具体的に示される。結果、百鬼丸が鬼神を退治するほどに、醍醐領の罪なき人々に災いが降りかかるというジレンマが予想される。百鬼丸自身がそれに気づいた時、どんな結論を出すのだろうか。

 だが今回は、みおと子供たちのことがすべてだ。鬼神から身体を取り戻す、という本来の目的を一時忘れ、彼女の夢に思いを馳せたい。
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2019年02月03日

「どろろ」第四話 妖刀の巻

 妖刀似蛭を斬り、百鬼丸は耳を取り戻した。初めて聞くのは雨の音。そして、斬られた兄にすがって泣く娘の声だ。
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 原作では、勝てないと知った田之介が似蛭で自害する。また、目を取り戻した百鬼丸と娘のやりとりなど、非常に印象深い結末なのだが、それをあえて変更。シビアで無常感漂う味わいになった。

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posted by Dr.K at 15:24| Comment(0) | 手塚治虫 変容と異形 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする